
2020年の秋に、桜川市の竜ケ井城(遺跡名は平良兼館)とその関連遺構を確認するために竜ケ井城山の会のみなさんと平良兼館から百貫石(263.4m)と呼ばれるところまで歩いたことがあるが、今回は、さらに上の、富士権現(341.0m)から三本松(443.4m)を一回りしてきた。城郭遺構かと問われて、山城によくある地形に似てはいるが決定的な構造が見当たらないと言う答えになった。ただ、この尾根の先端に伊佐々城があり、その上に竜ケ井城があるので、その上方に当たる、百貫石、富士権現、三本松辺りに防御線を置かないということもあり得ない。明瞭な城郭遺構は残っていなくても、竜ケ井城と関連する場所であることに間違いはないだろう。
遺跡名が平良兼館となっているのは、平将門の叔父良兼の営所が羽鳥(服織)にあったことからの伝承に由来すると思われる。現在見られる遺構は平安時代のものではなく、字名がリュウガイになっていることからも少なくとも戦国期に改修されている可能性が高そうだ。ただ、『将門記』の弓袋山の対陣の場面は、この尾根筋に沿った場所を描写しているに違いないと感じられることは、竜ケ井城に纏わるエピソードとして興味を引く部分になる。