33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
6畳一間の広々とした空間
2023-05-20 Sat 00:00
2305181.jpg机の引き出しからこんなものが出てきた。1976年4月から1981年3月までの学生時代のアパート家賃領収証5年分。6畳一間で流しと押入れ付きで1ヶ月9千円。浪人時代からTVは不要になっていたので、机代わりの電気炬燵と本棚の他には何にも無い部屋から一人暮らしは始まった気がする。物はなくてもそこは自由な空間だった。
別窓 | 天文空白の時代 | コメント:5
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この記事のコメント
この領収書古げですね。この字体の「圓」を書く人は今はいないでしょう。この両側の点点が、くにがまえ であることは古文書読みを始めてから知りました。印紙を貼られているのは、律儀な人ですね。今なら、この10倍の賃料でも省略でしょう。
2023-05-20 Sat 08:12 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
その後契約書を取り交わしての借家住まいはないのでこれが唯一の契約書です。
風呂・トイレのないアパートなどいまやほぼ絶滅物件でしょうが、当時の杉本町に近い阪和線沿線では比較的高額な物件だったと思います。
2023-05-20 Sat 08:51 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
風呂、トイレがないのは、当時、当然でしたね。それでも、大阪の学生相手の下宿屋やアパートで6畳というのは、広いほうの部類だったのではないでしょうか。広さにすれば、9,000円が高額だとは思えません。それとも、地元公立大学の学生さんは、地元の方に応援されていたということもあったのでしょうか。
2023-05-20 Sat 12:01 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
3月の合格発表を見た足で不動産屋を訪ねていくつか紹介してもらいました。3階建ビルの屋上に付け足しの様に建っているいかにも不法建築と思う様な物件もありました。その後、父の親戚に挨拶がてら両親とともに同じ不動産屋を訪ねたところ、いきなり、「このアパートはちょっと高いのですが、大屋さんご夫婦が良い方で、閑静な住宅街にありながら駅まで徒歩1分かからないアパートですよ。基本学生はお断りなのですが、ご希望ならばすぐに連絡してみます」と紹介されました。その後挨拶に行って即決定でした。今と違って大学の入学式や卒業式に親が出るなどという時代ではなかった当時、下宿探しに両親同伴で行ったので即信用されたのだと思います。たしかに、学生はアパートで爆弾を作ると思われていた時代でしたから、敬遠する大屋さんがいてもおかしくなかったです。すぐ近くに森恒夫が住んでいたアパートもありましたし。もちろんほとんどのイチダイの学生は飲み屋でも食べ物屋でも好意的に扱ってもらっていたとは思います。
2023-05-20 Sat 18:22 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
確かに、そういう時代でしたね。私の時も、大家さんに挨拶をしたいという両親が付き添ってくれました。親にしてみれば、個人的な信用が大事と思ったのでしょう。ただ、私の場合は、地方だったので、そんなことしなくても、大学を受けて合格したというだけで、じゅうぶんな信用があることを知りました。実際には、地元周辺の郡部から通学している学生も多く、そういう人の中には必ずしも信用できないようなのもチラホラいましたが、そういう人も含めて、地元のお店の人たちは、好意的に扱ってくれました。

 今でも、地方の国立大には、似たような状況があるのではないかと思いますが、少なくともアパートは事務的になったと思います。 
2023-05-21 Sun 07:35 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
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