私の故郷も、もともとは両墓制だったので、埋め墓と詣り墓が別々にありました。最近、たまたまですが、気になったので、Wikipedia「両墓制」で調べたのですが、これは地方によってまったく違うようですね。近畿地方には両墓制は多いそうです。丹波の私の故郷では、埋め墓、詣り墓という言葉は使わず、それぞれ、墓、ラントウと呼び、死後何年経っても両方同時に(同じ道行きで、墓、ラントウの順に)詣りに行きましたので、まあ両方とも詣り墓だったわけです。なぜ、墓を二つに分けたかというと、明智光秀が城を築くのに立派な墓石を容赦なく調達したので、やむをえず、墓には価値のない自然石を使い、ラントウには立派な石塔を建てたが、ラントウは寺院の敷地にあったので、明智の家来といえども徴発はできなかったという話があります。今では、火葬ばかりになり、別の場所に統合されました。たぶん、土葬がほとんどなくなったのは1980年代ではないかと思います。
おそらくは、 関東の田舎では、基本は両墓制ではなく、かつてはそれでも土葬が広く行われていたと思うので、埋め墓と同様、山のほうの土地で墓地を広げていったのではないかと思います。ただ、農家などでは、墓参りがしやすいように、詣り墓を家の近くに設置している家はあるのではないかと思います。
2022-10-16 Sun 08:34 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
この本は近畿から西南諸島が主ですが、風習は地域によって共通していたり全く違ったりと様々ですね。茨城県南へ来て初めて見た「息つぎ竹」は、与論島と共通しているなどは興味深いです。私より少し年上の地元の歴史の先生にお聞きしたところ、この地域で土葬が完全になくなるのは20年ほど前だった様で、ご自分も何度も穴掘り役をやった経験があると言われていました。私たちの世代にとっては殊更特別な体験ではなかったといえるでしょう。
2022-10-18 Tue 07:01 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>「息つぎ竹」
これは、知りませんでした。全国的にもまれなのでしょうか。 火葬場の普及が遅れた地域では、土葬は最近まであったと思いますが、土葬は穴を掘る場所をどう決めるのかたいへんですね。両墓制では適当に墓地の範囲を広げていっていたように思います。石塔があって、同じ家に続けて葬式があったら、誰が次の穴の場所を決めたのでしょう。
2022-10-18 Tue 14:36 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
新治の知人が、土饅頭に節をくり抜いた真竹を結構深くまで刺すと言っていました。私がこちらへ越してきた時に、墓石のない墓(埋め墓なのでしょう)に緑色のプラスチックの筒が立っているのを見て、お花を立てる筒かと思っていたのですが、息つぎ竹のイミテーションだったことが今回この本を読んでわかりました。与論島と新治郡とここ稲敷郡に「息つぎ竹」の風習が共通するのは分かりましたが、高橋繁行さんの調査は近畿が中心ですので、他所にないかどうかはまた別ですね。
土葬の場所の決め方も、大きく分けて2通りあるみたいです。死んだ順番に埋めていく場合と、家族とか一族単位で区画が決まっている場合です。前者は、どこに埋められるか決まっていないという問題があり、一方、小区画だと立て続けに死ぬと埋める場所がなくなるという問題があるようです。
2022-10-18 Tue 17:13 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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