2022-07-26 Tue 00:00
![]() 武藤盈・写真 須藤功・聞き書き 農山村漁村文化協会 2003年 6500円 先日、古山フウさんがツイッターで紹介していたのを読んで中を見たくなり、さっそく図書館に相互貸借を頼んでおいたのが届いた。 長野県富士見町や埼玉県秩父周辺の山村風景の中に暮らす人々の日常を写したアマチュア写真家の作品集だ。町育ちの自分には、懐かしい原風景とは言えないが、自分が生まれた時代の日本にはこんな風景が広がっていて、この風景の中で育った同世代がいるってことを思うと夢物語の中にいるような気がしてしまう。そしてなんといっても、みんないい顔しているのが羨ましい。 |
懐かしいですね。
私も学校に上がるまでは、田植えや稲刈りの時期には、竹で編んだ籠に入れられていたこともあったと思います。田植えは、完全な人力て゛、ちょっと遠い親戚までがグループを組んで一線に並ぶ必要がありました。別途、炊事をし、昼ご飯は屋外で服を着替えずに食べるというのが鉄則でした。グループに十数人ほしいところでした。 懐かしいですけれど、今の日本では絶対に取りようのないというか考えようもない人の動員形態で、今でも同じところにある田圃でお米はたくさん作っていますが、昔と今を比較するとか懐かしむこと自体がもはやナンセンスという気がします。
2022-07-26 Tue 13:45 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
社会の構造が作り替えられてしまいましたから、戻れもせず、また懐かしさを語りあおうにも当時を記憶している人もどんどん減って、この風景を記憶する最後の世代人(我々辺り)がいなくなるのも時間の問題ですね。
2022-07-26 Tue 18:03 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>最後の世代人(我々辺り)
せっかくの最後の世代人ですから、ついでに思い出したことを書いておきます。 今と決定的に違うことは、農家が運搬や耕作用に牛や馬を飼っていたことです。農家の多くは、軽トラやオート三輪、特殊車両はなくても牛は飼っていましたので(我が家は車も牛もなかったですが羊がいました)、牛のほうが安かったか役に立ったのでしょう。今から思えば、驚くべきことだと思います。 農道や通学路では、車に会うより牛に会うほうが多かったです。馬はずっと少なかったですが、珍しくはありませんでした。馬をつなぐ場所、という木のある決まった場所が、みちあいに2箇所ほどありました。牛は、牛市場が地域にあって、そこで調達することになっていました。毎年、1年周期で季節ごとに調達して手放したのか、牛が老齢になったら調達したのかは知りません。 車と違って、牛や馬は草や藁を食べ、我々の近くには大規模な放牧場はなかったので、最低限の餌を人間が毎朝集めていたのだと思います。牛飼い農家は早朝に草刈りに行く必要がありました。まさに今から思えば「夢物語」で懐かしい以前に信じがたい話です。
2022-07-27 Wed 06:34 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
岡山県加茂町にあった父方の田舎でも牛を飼っていましたね。小学校低学年で行ったときには牛がいて、高学年で行ったときにはすでにいなかった記憶があります。目まぐるしく変化する時代だったということですね。
2022-07-27 Wed 14:21 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
うちの田圃に牛を入れてくれていた親戚の人は、畜産の専門家で肉用にも取引していたので、かなり後まで牛を飼っていました。でも、専門家でない一般農家の人は、見切りが早かったと思います。そういう一般農家で、牛の購入や飼育にどのように資力と労力をかけていたか知りたいのですが、畜産業、肉用牛の立場の文献ばかりが見つかり、いまとなってはよくわかりません。
2022-07-27 Wed 15:11 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
食肉用の牛豚とか、競馬用の軽種馬などその動物自体に経済的価値があるものは比較的記録が残っていると思われますが、農耕や運輸に関わった動物の記録はぐっと少ないと思います。
2022-07-29 Fri 20:48 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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