33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
まりちゃんの さのさ
2020-06-17 Wed 00:00
2005212.jpg園まりはムード歌謡曲歌手のイメージが強いが、こうした端唄や小唄といったお座敷歌を歌わせても上手にこなしてしまう。このLPが出た1966年は『夢は夜ひらく』を歌った年で、映画にステージにと引っ張りだこで、おそらく本人の意思とは別のところでいろいろなジャンルの仕事をさせられていたのだろう。その全てをこなしてしまう園まりは、単なる美人歌手でなかったことは確かだが、もしかすると、器用ゆえにこれぞ園まりという部分が薄まってしまったのかもしれない。そうこうしている間に歌謡曲の時代は終わり演歌全盛の時代がやってくる。園まりが歌謡曲として歌った『夢は夜ひらく』が藤圭子の演歌『圭子の夢は夜ひらく』へとリメイクされたことは、歌謡曲の終わりを象徴する出来事だったのだと今改めて感じる。そして、園まりのふっくらと柔らかな声はムード歌謡ならではで、演歌では活きなかっただろうと感じる。
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この記事のコメント
ご指摘の1960年代中葉の演歌の発生の問題は、私にはたいへん興味があるところです。従来より、私は、民謡→ご当地歌謡・港町・漁師もの→演歌と進んできたのではないかと思っています。

 島倉千代子「えりも岬」、北島三郎「なみだ船」、こまどり姉妹、三沢あけみ「アリューシャン小唄」などのヒットからの連想ですが、美空ひばり「柔」のようにこの路線に合わない例もありますので、園まりのようなムード歌謡からの流れからの演歌というのも当然考えるべきですね。黒沢明とロスプリモス、鶴岡雅義と東京ロマンチカが成功例だと思います。

 してみると、「器用ゆえにこれぞ園まりという部分が薄まってしまったのかもしれない」というのは的を射ていて、その後、水前寺清子、都はるみのような港町組でない女性歌手では、藤圭子のような一点突破型の個性が演歌時代には必要だったということになるように思います。
2020-06-17 Wed 08:58 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>港町組でない女性歌手では、藤圭子のような一点突破型の個性が演歌時代には必要だった
 二十代半ば以降の園まりの曲には、ムード歌謡と演歌の橋渡し的メロディが増えていくように感じます。後に演歌で成功した歌手ならばより演歌っぽく歌っただろうと思われる曲がたくさんあります。園まりもそのように歌えば良かったのかと考えたとき、当時誰にも侵すことのできない園まりの歌の世界がすでにありましたから、それをぶち壊して新境地を開拓するのは、本人の意思と努力だけではどうしようもないところまで行っていたのではないかと感じます。今となると、園まり、といえばああいう雰囲気の曲という世界がそのままの記憶と一致する形で残っているのはありがたいです。ですから、一点突破して新境地を開かなくてよかったのだろうと思います。

>民謡→ご当地歌謡・港町・漁師もの→演歌
 こういう流れで考えるのは大変興味深いですね。今でこそ三味線とともに民謡も聴くようになりましたが、かつては全く興味がなく、演歌も特に好んで聴くことはありません。ど演歌よりも、むしろ津軽海峡冬景色のような歌謡曲のテイストを残したあたりが一番好きかもしれません。上に書いた、歌謡曲と演歌の橋渡し的位置にある曲というのにつながるようです。
2020-06-17 Wed 14:16 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
園まりのイメージは私にはあまりなく、悪く言えばおもしろみのない人、ニュートラルに言えばプレーンな人です。このプレーンが今から見ると歴史的な長所であったということになるのでしょうか。

 Wikipediaのシングルを見ると、実に多方面の歌を歌っていますね。「花はどこへ行った」は、米フォークとカンツォーネの組み合わせです。

 1960年代末以降のムード歌謡曲から演歌へ導く流れとしては、平尾昌晃の力が大きいと思います。園まりも楽曲の提供を受けていたようですが、平尾の曲は、独特の気取りや気負いがあって、雰囲気の当たり外れがあるので、実際のところいかがでしょうか。
2020-06-17 Wed 18:48 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>悪く言えばおもしろみのない人、ニュートラルに言えばプレーンな人です。
 当時の三人娘の映画とか歌とかを見ると、中尾ミエと伊東ゆかりは、この小娘たちすごいなぁと感じさせるものありますが、園まりは普通に巧いけど個性が弾け出すまでに至りません。彼女の持ち味はそこにはなかったのだと思います。

>1960年代末以降のムード歌謡曲から演歌へ導く流れ
 60年代前半、二十歳そこそこでまだ大人少し手前の園まりが歌う大人の女の歌が人気のピークを形成したと思います。60年代後半は実際に大人になって大人の女の歌を歌っていくわけです。このあたりに園まりワールドの質的変化があったのかなと感じないでもないです。そして時代的には、高度成長に陰りが見え、社交の場がナイトクラブから居酒屋へ急速に変化していったのも、ムード歌謡曲から演歌への流れに象徴されていると感じます。
2020-06-17 Wed 19:17 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
「園まりの歌手としての個性を評価し、ムード歌謡から演歌への流れをその関連で議論せよ」

 これは相当難易度の高い小論文課題ですね。

 また、余力があれば、考えたいと思います。

 さらに、お許しいただけるなら、殿様キングス、ピンからトリオなど、ド演歌の発生についてもこの延長でまた議論としたいと思っています。
2020-06-18 Thu 17:22 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>「園まりの歌手としての個性を評価し、ムード歌謡から演歌への流れをその関連で議論せよ」
 歌は世に連れ、世は歌に連れというのは、歌謡番組の冒頭のお決まり文句でしたが、小さな流れは金で作れるにしても、大きな流れは時代と共にあるということなんだと改めて思います。

>殿様キングス、ピンからトリオなど、ド演歌の発生
 私はド演歌には疎いのですが、演歌→ド演歌→の先には、我が身を客体化して笑いの対象にまで昇華させてしまう、表裏一体の世界が見えていたのですね。論考をお待ちしています。
2020-06-18 Thu 18:58 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
演歌が好きでも、少なくとも現在では、歌謡曲と演歌の中間的な感じの歌が好き、という人が大多数で、ド演歌が好きという人は少数派だろうと思います。

 私もそうなんですが、しかしながら、ド演歌は、演歌が独擅場として究極に目指すところ

>我が身を客体化して笑いの対象にまで昇華させてしまう、表裏一体の世界

をわかりやすく提示しているため見逃すことはできず、土壇場では必要なものと考えます。

 また、次の近い話題が出た機会に議論させていただければ幸いです。
2020-06-19 Fri 07:38 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>少なくとも現在では、歌謡曲と演歌の中間的な感じの歌が好き、という人が大多数
 今、歌謡曲というジャンルはあるのでしょうか?TVを見ないので歌番組というものがあるのかどうかも知りません。

>次の近い話題
 演歌につながる話題のきっかけを出せるかわかりませんが。
2020-06-20 Sat 17:09 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>今、歌謡曲というジャンル

 「歌謡曲」は、ありませんね・・・(笑)。 「Jポップバラード」は今もあるようですから、こちらに読み替えてもらって支障ないと思います。

 音楽理論的には演歌も歌謡曲もJポップも同じ範疇で、ヨナ抜き基本、長音階で暗めのマイナートーンが出せるものが主流です。フィーチャーの置き所や歌唱法の違いですので、連続的な分類です。

 歌番組は、地上波では、NHKの「うたコン」(演歌とベテランのボーカルが主だと思います)くらいしか知りません。民放はわかりませんが、定常的にはやっていないのじゃないでしょうか。文化放送ラジオのレコメンは今でもあるようです。

>演歌につながる話題のきっかけ
 私の無理な我田引水を大目に見て下されば大丈夫と思います。m(_ _ )m
2020-06-21 Sun 07:23 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>音楽理論的には演歌も歌謡曲もJポップも〜ヨナ抜き基本〜連続的な分類です。
 理論的には同じ音階に依拠した連続性があって、時代や世代や地域による変奏曲とも考えられるのは面白いですね。

>NHKの「うたコン」
 見ようと思えばオンデマンドで見られそうですがあまり興味を持てません。何十年も見続けて少しずつの変化を受け入れてきたならばともかく、いきなり見るのはきついものがあります。見続けて慣らしちゃえばまたいいのかもしれませんが。
2020-06-21 Sun 10:44 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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