33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
若々しい美しさ
2020-05-16 Sat 00:00
2005141.png・YouTube:園まり 逢いたくて逢いたくて
 三人娘(園まり、中尾ミエ、伊東ゆかり)の中では、おしゃべりの中尾ミエと伊東ゆかりの間で、園まりはかき消されがちな物静かなキャラクターだったという印象だ。この動画は、1965年(昭和40年)の第16回NHK紅白歌合戦の映像で、この時、園まり21歳、私9歳。間違いなくこの日の放送は見ている。当時、純情な小学生の自分は、園まりのお色気には近寄りがたさを感じていたかもしれない。今これを書きながら、1970年に藤圭子が「圭子の夢は夜ひらく」を出した時、園まりの「夢は夜ひらく」(1966年)を横取りされたという感情を持ったことをまざまざと思い出した。ということは多少なりとも好感を持っていたということなのだろう。今見直せば、透明感のある色気と美貌は若々しい美しさに溢れていて、55年後の純情少年は今更の様にフ〜っとなってしまうのだった。
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この記事のコメント
1965年は、日本の歌謡曲が全開モードになる皮切りの頃という印象です。紅白歌合戦のリストをみると、吉永小百合から仲宗根美樹、日野てる子、みんな三人娘とほぼ同年代ですが、すでに歌に個性を発揮していたようですばらしいです。そのなかで、かすてんさんが園まりさんを応援されていたとは、すでに女性歌手界本流の通だったのですね。私は、当時は、ボーイッシュ路線の伊東ゆかり、九重佑三子、水前寺清子が好きでした。
 お色気路線に注目するようになったのは、もう少し後の奥村チヨあたりからです。
2020-05-16 Sat 06:45 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
園まりはちょっとお姉さんすぎて、私も当時はご多分に漏れずというかS.Uさんと完全にかぶっていましたね。でも、今見直すと、「夢は夜ひらく」など大人の女の歌を歌っていても、間奏時の表情などは実にかわいいです。だって22歳ですものね。この時代、歌が売れると映画も作られるという時代でした。映画「夢は夜ひらく」に奥村チヨも出ています。
2020-05-16 Sat 07:25 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
「夢は夜ひらく」は、藤圭子の歌が出た時に、以前に誰か歌っていたなくらいにしか感じなくて、園まりさんには申し訳ないことでした。

 園まりは、当時はお姉さんで今見るとかわいいですが、当時はオバさんのように感じた(今でもオバさんですが)こまどり姉妹も、今そのころの写真をみるとかわいいです。
2020-05-16 Sat 08:12 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
園まりのファンとは自覚していませんでしたが、「圭子の夢は夜ひらく」が出たときは、横取りされた感がとても強かったです。

>当時はオバさんのように感じた(今でもオバさんですが)こまどり姉妹
 オバさんはひどいなあ。でも 10代の頃の5歳違いは子供と大人の差がありますから、一回り以上も上ではやはりオバさんだったかも。
2020-05-16 Sat 09:39 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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