2007年、33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名。その後の変化でただいま星空は休眠状態。郷土史、草刈り、読書、ドローンの記事が多くなっています。
楽しい本を読みたい
2020-08-31 Mon 00:00
2004012.jpg『新訂 幕末下級武士の絵日記』 大岡敏昭著 水曜社
                    2019年 2500円

 この絵日記の作者尾崎石城はどのような人かというと、文政12年(1829)に庄内藩江戸詰め武士浅井家に生まれ、18歳で忍藩の尾崎家の養子となるが、そのとき養父は藩の咎めを受けて隠居中。その後、養父は赦免されたが、嘉永4年(1851)今度は何を石城がやったものかはっきり書かれていないが、咎めを受け、逼塞、在所勤務、永慎(ながのつつしみ)、赦免、再び咎め、逼塞、在所勤務、永慎、隠居、100石の知行召し上げ、安政6年(1859)には2年前に迎えた養子が早世、妹の聟・進を養子に迎えるが、文久元年(1861)進が酒の上での不行跡で咎めを受け逼塞、石城一家閉居、文久2年(1862)赦免、翌年石城が何かをやらかし仏参差し止め、そうこうしている間に明治維新(1868)となり一連を赦免され、藩校の教頭を命じられるも、明治4年(1871)藩校廃止、宮城県の官吏となり、明治9年(1876)死去。
 絵日記は、文久元年(1861)6月から翌年4月まで、進の咎めによる一家閉門・逼期間を含んだ、足掛け10ヶ月の石城一家と友人たちの日常が絵と文章で克明に記録されている。とにかく石城は人間がよくて教養があって絵が上手い。その人柄と腕を見込まれて、城下に住む友人や商人から、行灯絵、襖絵、屏風絵、書類の代筆まで頼まれてしまう。江戸での価格に比べれば格安なのに高いと言われるのは田舎だから仕方がないとぼやくこともある。日常の食事は質素だが、人を招く時は質屋で金を工面してでも持て成しをする。下級という身分であっても経済的に下級かどうかは人それぞれの様で、極貧武士もいれば、江戸の文雅名人録に名を連ねる石城の様に絵や筆で小遣いを稼げる下級武士もいれば、熊谷の料亭の女将の世話をしている下級武士もいる。
 眺めるだけでも楽しい本だが、これは石城の絵の巧さはもちろんだが、身分の違いに拘ることなく、また上位権力に阿ることもない石城の人となりが絵に現れていて、それへの共感が大いにあるし、貧しかったはずの下級武士でもこんなにも人間関係が豊かで楽しげな日常を過ごせていたことが羨ましくさえ感じられるそんな一冊だ。


[追記]『石城日記』原文は慶應義塾大学文学部古文書室が所蔵し、現在ネットで閲覧することができる。本文全文を読むことができるのはもちろん、挿絵の色彩や細部まで書籍よりもかなり鮮明に見ることができる。
 →文学部古文書室 展示会>資料4:『石城日記』
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