33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
「星のない夏」が気づかせてくれること
2008-07-05 Sat 00:12
鈴木壽壽子『星のふるさと』(誠文堂新光社 1975)から

080609.jpg     星のない夏

 1973年は、再び火星の近づく年にあたっていた。私たちは、星の澄む夜更けに、昇る火星を待ちながら、銀河のほとりの幾つかの散開星団を、視野に迎えてたのしもうと、夏の夜空が更けるのを待った。
 でも、今年の夏私たちは、天の川のかかる夜を、もてなかった。いつもならば晴れた日の夜空には、目ぼしい星はかかるはずなのに、今年は「夏の大三角」がやっとだった。
 何かが、ぼんやりと、私たちの町の空に、重くたちこめていて、その一隅に、街の灯をうつした雲が、ちぎれた古綿のように積みかさなって、じっとしていた。
 夏中、陽が高くなると光化学スモッグの予報や注意報が出て、空全体が蛍光灯のような色に白かった。
 それを、ある人びとは、異常気象のせいだと言った。ある人びとは、石油工場の煙突が急に高くなったからだと言った。
(煙塵帽が大きくなって、私たちの町まですっぽりその中に入ったのではなかろうか)と考える人もあれば、自動車の排気ガスのせいだと言う人も現れる。誰もが本当のことを本当に知らないままで、そうなのだろうと言い言いした。
「煙塵帽」といっても、活字を知っているだけだし、10キロメートルから20キロメートルはなれた場所から見ると、その街の大気汚染が一目でわかると、誰かが、どこかで話したことも、また聞きをまた聞きしただけの話だった。
 複雑化して広がる汚染の話を聞くたびに、確かなデータが欲しいと思う。大気汚染の裁判も、素人が傍らで考えたほどすぐ黒白はつかなかった。人が死んでも証拠にならない。そんな気のするもどかしさの中で、原告の人々は、目に見えぬ大気汚染の証拠を固めねばならない。そのとき、ほんの励ましほどのデータも、私たちの手にはなかった。なくて当然だが、あのときそれがあったら・・・と思う。
「データがあったら。空も水も、すきとおっていた昔から、星の見えかた一つでも、貝のありかた一つでも、十年見続け、見くらべ続けた、確かなデータが、その土地の人の手にあったら。星の写真を写すついでに、同じ星座を同じ方法で写しくらべたものがあったら、星が大気の変わる姿を、話しているのが聞こえないかしら・・・」
「あ、の、なあ」
うしろから、いつもの声が笑って近づいた。
ふり返った私に、笑顔の目だけが厳しかった。
「”あったら”言うまに、やったらどうや。十年経った暁には、今夜も十年昔やろ!?」
<以下略>
【『星のふるさと』は絶版本のため実物を手に取って読んでいただける方は少数だと思われるので少し長く引用させていただいた。右上写真は太田大八氏の扉絵】
 ここ数年なんとなく天気の様子がおかしい、空の透明度が落ちている、真冬に抜けるような真っ青な空が無くなった、いつもの同じ時期よりも天候不順が顕著、異常気象が頻発、最近の日本の天気は昼間も夜も変、今年の天候はいつもと違うよう、週間天気予報は全く当てにならず翌日のも外れることが度々、、、。星のブログや掲示板でたびたび目にするコメント。私だけでなくかなりの人が感じているからだろう。30年前に『星のふるさと』で鈴木寿寿子さんが書いていたのはこのことだったのかと思い当たる。ひとりひとりが毎夜積み重ねているささやかな記録が何かの役に立たないものか、鈴木寿寿子さんならずとも考えてしまう。
★★
 著者の鈴木寿寿子さんのその後のことを含めて消息を知りたいと思う今日この頃。「八方手を尽くす」とまでは行かないが、私のこの思いがご本人あるいはご存知の方へ届けばと思っている。
別窓 | 『星のふるさと』 | コメント:7 | トラックバック:0
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この記事のコメント
ご無沙汰しております晏次郎です。
私はこの一文を目にする度にレイチェル・カーソンの(沈黙の春)の序文を思い起こします。
彼女は環境汚染に警鐘を打ち鳴らした先駆者として有名ですが、鈴木さんも読まれていたのかな?と思っております。 
かすてんさんも、こうした記事を載せることによって警鐘、啓発の一助を担っているなと感じております。又、その姿勢に感服です。
ところで、鈴木さんの消息は私も知りたいものです。
2008-07-05 Sat 22:24 | URL | 晏次郎 #-[ 内容変更]
こんばんは。
鈴木さんの「星のない夏」の紹介された内容は
今の異常気象の感覚に似ているような気がしてなりません。
何か重大な出来事が起きる前兆?とも感じています。
今からでも何か客観的な証拠を蓄積しましょう。

鈴木さんの消息ですが、私ならそっとしておいてあげます。
2008-07-05 Sat 23:02 | URL | 中井 健二 #7w5mtEUg[ 内容変更]
縄文時代に戻る(^^)
こんばんは、
霞が強く成って来たのは(湿度)、
気温上昇 の可能性は 有ります~他にも、大気循環の変化~ ブロッキング現象等(停滞)も上げられます。
因みに日本の年間降雨量は、統計を取り始めて1920年前と、1950年代は 多雨期で 他は平年値で小刻みな変動で 推移しては居るものの、近年は 小雨傾向の年が頻繁に現れて来て居る様です~~お隣りの国の様に、降雨が少ない砂漠化現象が進行中かも知れません~平野に大量に降っても、保存する術は無く、全ては海へ流れてしまう。

既に今年も梅雨前線は北上中、早い時期に夏はやっ来てます^^;。
2008-07-05 Sat 23:09 | URL | ☆はごろも~* #j2KS4BfU[ 内容変更]
地震
こんばんわ、ももで~す。
地震はどうでした?
たぶん被害はないでしょうけれど。
ワタシに出来ることはなんだろう?
今のワタシの生きている環境自体ではそれほど深刻ではないような?
でも、気付いたときには遅いということもあるかも~。
地域だけでなく、地球全体となると尚更ですね。
星から始まる環境への意識啓蒙もあるでしょうね。
2008-07-05 Sat 23:26 | URL | もも #-[ 内容変更]
>晏次郎さん
 お忙しい中久しぶりにお出でいただきありがとうございます。今頃はお仕事がきっとたいへんなのでしょうね。今年の天候は如何ですか。私の仕事仲間の一団も函館へ移動しました。この季節になると道南の気候が気になり始めます(もちろん他の季節も島牧の天候はチェックしていますよ)。
 『星のふるさと』は晏次郎さんも絶賛されていましたが、私も折にふれ読んでいます。読むたびに私の母が語らない部分を語る言葉の代わりのように私の心に降り注ぐような気分がするのです。
 環境問題への姿勢ですが、どうしても自分の日々の生活にかまけてしまって、そのエネルギーの一部を社会へ還元するという部分が疎かになってしまいます。この本はそんな怠惰な自分にも「肩肘張らないでもできることがあるのじゃないの」とやさしく厳しく語りかけてくれているような気がするのです。
 鈴木さんの消息なんですが、ほとんど同世代の私の母はあいかわらず元気にしていますので、そんなおばあさんになっているのかなぁと想像を膨らませています。

>中井さん
 鈴木さんもきっと日々の生活の中でのちょっとした変化を感じ取って、未来への不安を感じていらっしゃったのだと思います。

>☆はごろも~*さん
 過去のデータを含めて気象に詳しいのですね。最近の変動は地球規模、宇宙規模からすれば微々たるものなのでしょうが、人類の活動が引き起こしたものだとすればやはり人類が(自滅を含めて)責任を取らなくてはならないのでしょうね。ただ、その責任を未来の子孫におっかぶせることは卑怯以外の何ものでもないと感じます。

>ももさん
 昨日の地震もけっこう揺れたんですよ。でも、震度3でした。うそ~、もっと大きかったよと言いたい。
 「今のワタシの生きている環境自体ではそれほど深刻ではないような? でも、気付いたときには遅いということもあるかも~。」って、ももさんだってもう気づいているじゃないですか。日々自然界に向き合っている多くの星の人は敏感に感づいている筈ですよ。「星から始まる環境への意識啓蒙もあるでしょうね。」それそれ、その方法・スタイルを見つけたいものです。
2008-07-06 Sun 21:34 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
こんばんは。
1973年で思い出しました。
この年は、晴れても空が白くて夜は星がほとんど見えない状況でした。
田舎に行っても同じでした。山中ではどうだったかは分かりませんが。
最近の空と似ているのを思い出した次第です。
なお、あの時は翌年の透明度はまあまあで、その後次第に改善していったのを憶えています。
でもあの時とは原因が違うのかも知れません。
2008-07-09 Wed 21:42 | URL | 中井 健二 #7w5mtEUg[ 内容変更]
中井さんは35年も前の1973年の空の色をよく覚えていますね。かなり印象的な年だったのでしょうか。
2008-07-10 Thu 06:08 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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