2007年、33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名。その後の変化でただいま星空は休眠状態。郷土史、草刈り、読書、ドローンの記事が多くなっています。
あらためて「杉山城問題」を復習しておく
2019-09-23 Mon 00:00
1904291.jpg最近、「城郭とは」とかさらに中世城郭とは」とか「城、城郭、城塞、城砦、城館、館、屋敷」の使い分けとか、いろいろと気になり始めて幾つかの本を手に取った。一口に「中世城郭」と言っても、中世前半と後半とでは様相が異なるという認識が一般化してきたようだし、広く使われてきた「城館」という用語の妥当性にも疑問符が点灯しているらしい。自分は研究者ではないので多少使い方が曖昧でも批判は受けないだろうが、この時代の論点に着いていけるようにはしておきたいと思う。現在、城郭研究者の中の論点の一つとなっているのが、「杉山城問題」だということは間違いないだろう。当事者を含めて、いろいろな研究者がこの問題に関しての見解を述べつつ、城郭研究の次代を模索している様に感じられる。
その杉山城は埼玉県比企郡嵐山町にある城郭パーツの展示場の様なお城だ。緻密で論理的な縄張りは、築城技術の成熟を示しているので、戦国後期の城の特徴と考えられているが、本当だろうか。強力な火力と大軍勢の城攻めの前には、いくら横矢掛を緻密に配置した縄張りを設計したところで無力だということを悟り、戦国後期になるとその様な縄張りは減って、技巧よりも規模になってくるということはないだろうか?要は杉山城の築城主体を特定する問題だが、その方法をめぐって、考古学、文献史学、縄張り/パーツ編年論の世界へいろいろな問題を提起している。
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