2018-10-31 Wed 00:00
コメント欄に、曇りや雨の多い日本では、天気予報は全部曇りマークにしておいた方が当たり確率は高くなるかもしれないと書いたとき、子どものころに読んだ多胡輝『頭の体操』の問題を思い出した。ある商人が古道具屋に正確な時計を買いに来て、まったく動かない時計と一日に1歩分遅れる時計を比べて動かない時計を買って行ったが、その理由は?という問題だったかと思う。答えは、日に1分遅れる時計は60日経たないと正確な時刻を示さないが、動かない時計は少なくとも日に2回は正確な時刻を指すからというものだったと思う。小学生心にも、おかしいなぁと思ったことを思い出すことがある。動いているのだから、少なくとも止まっているよりは情報量が多いわけだし、(この出題からではこれ以上はわからないが)どのような動きをしているかを観察すれば正確な時刻を予測することもできるはず、それでも法則性を見つけ出せないならば、その時に時計を壊せばいいと小学生の頭の中におぼろげではあるがそういう考えが浮かんでいた(もちろんこんな言葉は持っていなかったが)。さて、初めの話に戻ると、全部曇りの天気予報は当たりやすいかもしれないが、見ていてちっとも楽しくないという欠点がありそうだ。
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深夜には雨になり、サッパリでしたね。人類の智恵もまだまだ・・・
私も、小6か中1くらいの時に、クラスメートが「天気予報が当たる確率」の自由研究の発表をしたのに刺激を受け、自分でも新聞を見て何週間か統計をとったことがあります。 当時の天気予報は70~80%くらい当たると言われていたと思いますが、とてもそんな実感はなく、研究でも50~70%くらいではなかったかと思います。はずれても話題にもなりませんでした。日本海に近い側の盆地だったので予報が難しい土地だったのでしょう。そのあと、しばらくして、かすてんさんと似たようなことを考えました。ずっと「曇り」の予報を出せば、50%くらいは当たるのではないかと。多胡さんの本のその問題も印象に残っていますが、関連性は今日まで気づきませんでした。狂った時計を研究するという智恵は、すごいですね。 ようするに情報量ですね。毎日曇りの天気予報を出すのでは、情報量はほぼゼロです。(今日も天気予報が出た、という情報があるだけ) 情報量ゼロよりは、間違った天気予報のほうが使い道があるかもしれません。 それから、これは今思い出したことですが、大戦中にドイツや日本で使われていた暗号通信で、乱数表の使い方に、解読されにくいように、工夫を凝らしたら、巧妙な工夫をするほどばれやすくなり、とうとう解読されてしまったというのがありました。ちょっと関係しているように思います。
2018-10-31 Wed 07:49 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>情報量ゼロよりは、間違った天気予報のほうが使い道があるかもしれません。
小学生の自分には表現する力はありませんでしたが、頭の中ではそういうことを考えていたようです。
2018-11-01 Thu 08:10 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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