33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
つくばとは関係なくても名前が欲しいコンプレックス
2018-08-09 Thu 00:00
1808021.jpg・NEWSつくば:県南3JAが来年2月合併で調印 新名称は「水郷つくば」
周辺地域の3つのJAが合併するというローカルニュース。JA土浦、竜ケ崎、茨城かすみの県南3JAが合併して新JAの名称が「JA水郷つくば」になるという。またやまたや、筑波と関係のない地域なのにつくばの名称を入れたがるこの地域の人たちのつくばコンプレックス。以前、旧稲敷郡東町(現在の稲敷市)釜井の筑波東部工業団地内にあるお城へ調査へ行った時に、師匠が「ここは筑波じゃあんめぇよ」と呆れていたのが印象的だった。確かに、ここにつくばをつけることを恥ずかしいと感じない感覚が他人ながら見ていて恥ずかしく感じる。
別窓 | 雑感 | コメント:9
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この記事のコメント
「つくば」の名称が南東のほうまでかなり浸食してきているようですね。それでは、そもそもの筑波(つくば)の地名はどの範囲を指すべきか、と言われると結構難しそうなので、素人なりに(それでも合併前の筑波郡以来のつくば市民なので)考えて見ました。かすてんさんや郷土史の師匠の方々はどのように考えられますでしょうか。

 私の考えでは、もと筑波郡であったところに加えて、それと錯綜して筑波研究学園都市の主要部になり、つくば市に合併した桜村と茎﨑町(つまり現在のつくば市とつくばみらい市の全体)、筑波山に隣接する真壁町、明野町(現・桜川市)あたり、筑波山の下の街道がある下妻市の一部あたりではないかと思います。南東側は難しいですが、水戸街道の土浦市、石岡市、かすみがうら市千代田町くらいは、かつては筑波山へのアプローチととらえられていたとすると、筑波のイメージかもしれません。
 こんなものではないでしょうか。

 そもそも、「水郷」(低地)と「筑波」(台地、山地)は排他的な感じがしますので、「水郷 AND 筑波」だとすると自己矛盾するように思います。桜川下流に限ればANDなのかもしれませんが狭い範囲です。「水郷 OR 筑波」だと論理はよろしいが、「水郷つくば」に含まれる筑波の部分はごく一部だけなのでORというのもちょっと言いにくいですね。

2018-08-10 Fri 08:08 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
 歴史的にどこら辺りを公式に「筑波郡」と決めていたかの変遷図を作ってみました。出典は『新編常陸國誌』です。緑の●は土浦の位置。
https://goo.gl/wiZBWp
 大化、白雉でここまで整備されていたかはともかく、それ以後も含め筑波郡は最大でも土浦から南へ引いたラインよりも東へ広がったことはないと思われます。白雉からずっと飛びますが元禄の境界線が今の私たちに最もなじみがある範囲なのではないでしょうか。土浦は長らく筑波の小田氏の勢力圏でしたから筑波に入れても間違いではないですが、稲敷郡域や稲敷市域を筑波と考えることには抵抗感があります。面白いのは、筑波郡は筑波山を越えたことはない様で、これは筑波郡のアイデンティティの大きな部分なのだと思います。
 おそらく、歴史的な「筑波」ではなく新しいひらがな「つくば」はそれを欲するならばどこまでも広げられるという屁理屈があるのだと想像しています。
2018-08-10 Fri 11:57 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
これは、お調べをありがとうございます。
筑波郡の範囲は大きく変っていますね。普通は、地名は、河川などが境になるのですが、ここは、人工的区画の土地で、河川すら移動させられたくらいですから、人為的理由が大きいように思います。

 歴史的にどこを筑波と呼んだかですが、筑波山(神社)方面に向かう街道が基準になったということはないでしょうか。中世以前の街道がどこにあった私は知りませんが、今の小貝川東岸の谷和原あたりから大穂を通って北条へ向かう道、および東からは、小田、大曽根から北条に向かう道、このへんが筑波の中核部分に見えます。
 この説では、今でいうなら、土浦より北は125号線が東限、土浦より南は「6国」が東限くらいになるのではないでしょうか。
 人為的呼称ですから、時代によってどこまで拡大しても良い理屈かもしれません。今なら成田空港から筑波山のあいだは「つくば」とか。
2018-08-10 Fri 14:59 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
「筑波」は筑波山以南、土浦以西、小貝川以東以北、「つくば」は好きなだけといったところだと思います。
2018-08-11 Sat 09:54 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
追加です。
上野下野方向から東進しながら常陸国の開拓が進んできたとき、真壁あたりから南を見て、筑波山から向こうは未開拓地でそこを「筑波」としたのだと思われます。開拓が進み、筑波郡から信太郡と河内郡が分割され、時代によって筑波郡の境界線は色々と動きますが、筑波山を境界にするラインは変わりません。真壁のアイデンティティからすれば「筑波」とは別と主張したいはずですが、昨今の状況ですと、やはりひらがな「つくば」に入れて欲しいということになるのかもしれません。
2018-08-12 Sun 12:30 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>真壁あたりから南を見て
 これは江戸時代以降の「上京組」には想像しがたい視点ですね。確かに北からやって来ると、筑波は、筑波山と下野を結ぶラインの次の地域として見えたでしょうね。今は、桜川とか筑西とか必ずしも主要幹線として便のあるところではありませんが、通るならこのへんを通るのが近いと思われるところです。
 水戸街道ができて以降、世の中ひっくり返ったのではないかと思います。
2018-08-12 Sun 16:53 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>水戸街道ができて以降、世の中ひっくり返ったのではないかと思います。
 中世初期の鎌倉街道も、松井田方面へ向かう上道、古河-小山を通って奥州へ向かう中道(奥大道)が先にできて、最後に松戸-土浦を通って奥州へ向かう下道が整備されるようですので、公式ルートから常陸へ入るとやはり宇都宮あたりから筑波山の北へ入ってくることになります。

>今は、桜川とか筑西とか必ずしも主要幹線として便のあるところではありませんが、通るならこのへん
 今からでは想像しにくいですが、桜川とか筑西あたりの人たちは筑波以南以東に対して先進意識を持っていたと思われます。
2018-08-12 Sun 22:48 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>今からでは想像しにくいですが
 現代では、常磐線、環七八、つくばエクスプレスと首都圏が広がることによって開発されてきたなどとついつい考えてしまいます。中世以来の歴史の勉強が欠かせません。

 また、霞ヶ浦からさらに南東に行くと、名高い鹿島・香取ラインがあります。こちらは、古くからブランドのある門前町があったのでしょうか?
2018-08-14 Tue 06:00 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>名高い鹿島・香取ラインがあります。こちらは、古くからブランドのある門前町があったのでしょうか?
 香取鹿島はまさに陸奥開拓の最前線ですね。古代東海道も鎌倉街道中道、下道も対陸奥開拓の幹線ですから南西方向から北東方向への拡大は確かですが、ローカルには、北から南という場合もあることも確かです。
2018-08-14 Tue 06:44 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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