>『ソフトウェア作法』
そんな本がありましたね。1981年というと相当古いですね。私はまだそのころはソフト開発はほぼ一人でやっていました。他人の作ったソフトを使う時は、それはもう出来上がっていて、使い方を口頭で教えてもらいました。当時は、まだ、ソフトウェアの体系の設計をチームで議論して組み上げるということは珍しかったのではないでしょうか。 かすてんさんの旧ご職場は先端だったのでしょうか。それともそれが中途半端だったとか。
2017-06-15 Thu 07:15 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>旧ご職場は先端だったのでしょうか。それともそれが中途半端だったとか。
システム開発の部署は別にあって、そちらはもう少しは先を行っていたのではないかと想像します。私がいたのは機械屋さん的な部署でした。メカニカルな開発部門もソフトを組み込まなくてはならない時代になって、最初は機械の部分部分を制御するソフトだったものが、機械全体をシステムとして制御するソフトが必要になってきた時代でした。先端どころか、中途半端へも至っていない、段階でした。 >当時は、まだ、ソフトウェアの体系の設計をチームで議論して組み上げるということは珍しかったのではないでしょうか。 数人の先輩と数人の同期というチームでしたが、先輩たちもシステム設計をするわけではなかったので、まぁ全員が同列のプログラマで、部長が夢を語るジョブズのような存在だったと言えます。実現可能か不可能かお構い無しに夢を語る存在は開発部門には必要ですし、先輩は経験と技量を持った人たちでしたが、中間でシステム設計を担っていたわけではなかったので、度々の仕様変更はダイレクトに末端プログラマへ降臨していました。
2017-06-15 Thu 22:59 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>部長が夢を語るジョブズ
なかなか難しいところですね。 ジョブズは起業以前も起業後も自分で設計しましたが、現場をいったん離れた人があの時点で夢を語ると、たしょうとんちんかんなことにもなりかねなかったと思います。でも、それが1981年頃であれば、夢としても先端的なあり方であったと評価できるのではないでしょうか。たいていのところでは、延々とそういうのを1980年代中葉まで引きずっていたのではないかと思います。 私どもの現場では、ソフト開発はだいたい若い人が勝手にやっていましたので、互いに注文をつけながら使える範囲で使わせてもらうという感じでした。若い人には論文提出期限がありますので、それが夢に走らずにかえって良かったかもしれません。
2017-06-16 Fri 07:54 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
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