33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
人生の決断に力を貸してくれた1冊の本
2017-06-15 Thu 00:00
1706031.jpg書類の片付けをしていると懐かしい物が出てきてつい手が止まってしまう。これは写研時代に書いた社内論文と、参考文献に使った当時(どうやら現在でも)ソフトマンのバイブルだった『ソフトウェア作法』。

カーニハン&プローガー『ソフトウェア作法』
       木村泉訳 共立出版 3800円 1981年

論文の方は名ばかりで「ソフトウェア開発上の問題点」と題したレポート。メンバー内で目標が共有されていないプロジェクトではソフトウェア開発基盤がいかに脆弱にならざるを得ないかを示し、改善への提案を書いてみた。などと言うともっともらしいが、自分の力不足を棚に上げて上司の企画力を批判しているだけとも言える。その時すでに辞職するつもりだったので、所属するプロジェクトの長への批判を思いっきり書いてしまった。

『ソフトウェア作法』は、ここにいても将来性のある正統派の開発環境は望めそうにないと、早々と見切りをつけさせてくれた、今にして思うと人生の決断に力を貸してくれた本だったことになる。
別窓 | 天文空白の時代 | コメント:3
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この記事のコメント
>『ソフトウェア作法』
 そんな本がありましたね。1981年というと相当古いですね。私はまだそのころはソフト開発はほぼ一人でやっていました。他人の作ったソフトを使う時は、それはもう出来上がっていて、使い方を口頭で教えてもらいました。当時は、まだ、ソフトウェアの体系の設計をチームで議論して組み上げるということは珍しかったのではないでしょうか。
 かすてんさんの旧ご職場は先端だったのでしょうか。それともそれが中途半端だったとか。
2017-06-15 Thu 07:15 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>旧ご職場は先端だったのでしょうか。それともそれが中途半端だったとか。
 システム開発の部署は別にあって、そちらはもう少しは先を行っていたのではないかと想像します。私がいたのは機械屋さん的な部署でした。メカニカルな開発部門もソフトを組み込まなくてはならない時代になって、最初は機械の部分部分を制御するソフトだったものが、機械全体をシステムとして制御するソフトが必要になってきた時代でした。先端どころか、中途半端へも至っていない、段階でした。

>当時は、まだ、ソフトウェアの体系の設計をチームで議論して組み上げるということは珍しかったのではないでしょうか。
 数人の先輩と数人の同期というチームでしたが、先輩たちもシステム設計をするわけではなかったので、まぁ全員が同列のプログラマで、部長が夢を語るジョブズのような存在だったと言えます。実現可能か不可能かお構い無しに夢を語る存在は開発部門には必要ですし、先輩は経験と技量を持った人たちでしたが、中間でシステム設計を担っていたわけではなかったので、度々の仕様変更はダイレクトに末端プログラマへ降臨していました。
2017-06-15 Thu 22:59 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>部長が夢を語るジョブズ
 なかなか難しいところですね。
 ジョブズは起業以前も起業後も自分で設計しましたが、現場をいったん離れた人があの時点で夢を語ると、たしょうとんちんかんなことにもなりかねなかったと思います。でも、それが1981年頃であれば、夢としても先端的なあり方であったと評価できるのではないでしょうか。たいていのところでは、延々とそういうのを1980年代中葉まで引きずっていたのではないかと思います。

 私どもの現場では、ソフト開発はだいたい若い人が勝手にやっていましたので、互いに注文をつけながら使える範囲で使わせてもらうという感じでした。若い人には論文提出期限がありますので、それが夢に走らずにかえって良かったかもしれません。
2017-06-16 Fri 07:54 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
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