33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
駄句のホコリ叩き
2016-12-04 Sun 00:00
いつかどこかへ投稿しようとブログには書かずにいた駄句が溜まってしまったのでホコリ叩きと思い、この秋は3つの俳句イベントへ投句した。それらがすべて終わったのでようやくここに書くことができる。笑われそうなくらい昔のものもある。

1612011.jpg★写真&俳句のコラボレーション展(神立)

 秋桜に誘われたどる仏道

宝篋山ハイキング。小田休憩所の周りの秋桜に見送られ、極楽寺コースを登り、常願寺コースを下りてきた。4時間40分。このフォト俳句は、左上山頂の電波塔に気づいてもらって→宝篋山→その南麓、極楽寺跡と連想していただけると、仏道の意味が通じるという壮大な(無謀な)趣向が隠されている。(2015年10月13日)

★第17回小野小町文芸賞(土浦)

 星めぐり 八月尽の歳還

玉青さんがブログで「八月尽」を取り上げていたのでさっそく頂戴した。八月尽は私の誕生日。(2016年08月31日)

 佐渡に来て 今宵は頭上の天の川

佐渡では両津港近くで裏庭が加茂湖に面している宿に泊まった。明治35年築の元遊郭だったという建物はなかなか良い雰囲気を醸し出していた。近くの路地から加茂湖の汀へ出ると、南西の水平線に横たうさそり座からカシオペア座まで頭上に天の川のアーチが架かっていた。天の川が佐渡に横たうと詠んだ芭蕉の句はあまりに有名だが、出雲崎からは佐渡に横たわって見えていた天の川は、佐渡では天空にアーチを架けているこの天の川だったのだ、なんてことはないのだが、加茂湖の水平線から湧き上がるような見事な光景は忘れられないだろう。(2016年09月03日)

 夕凪に魚跳ね遊び秋の声

仕事帰り、目を休めに霞ヶ浦の堤防に立つ。海風が涼しい。凪いだ水面に魚の跳ねた波が立つ。サギ、アオサギが岸で餌を食い、鴨はのんびり湖面を滑る。(2016年09月10日)

 大水の記憶一筋樫垣根

鬼怒川決壊から一年。まだまだ元どおりとは言えないと思う。壁の泥も生垣の泥もほとんど消えてしまったかもしれないが、剪定する余裕の無い生垣を斜めから見れば、あの日の記憶が浸水のラインと共に蘇る。(2016年09月11日)

★布川一茶俳句会(利根町)

 秋風を身に纏いつつ初すばる

台風9号一過の爽やかな日が過ぎ透明度の良い夜がやってきた。(2010年09月09日)

 天狼も軒を離れて秋深し

隣家に隠れていたシリウスが漸く軒から離れて見えるようになって来たということは、もう秋も深まり冬の寒さを感じる季節になったということでもある。(2010年11月01日)

 東天に輝星揃いて風凍る

長らく観測小屋での観測をしていないが、MacBookAirでの制御可能の確認をして小屋を閉めると頭の上には冬の星々が勢ぞろいしていた。(2015年11月12日)
別窓 | 星句・星歌 | コメント:8
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この記事のコメント
 これは、季節感、自然感溢れる俳句が揃いましたね。私は自分で作るとどうもダメなのですが、他の人の句の鑑賞は好きなので、僭越ながら無礼ながら選んで評をさせてください。

>星めぐり 八月尽の歳還
 これはいいですね。季節とともに星は廻り、我々の人生の暦も還暦があり、また、8月は先祖が帰って来るというお盆の月で、特に今年はたまたま9月1日が新月でしたので八月尽は月の廻りの節目にもなりました。重層的に宇宙と人間がめぐる同心円構造が浮かぶ秀句と思います。

>大水の記憶一筋樫垣根
 この垣根が、かすてんさんのお宅にあるのか、それとも大水で被害を受けた鬼怒川と小貝川の間の地域にあるのかわかりませんが、句の外観だけ見ても、「一筋」というのが堤防を連想させ、「記憶」、「樫」、「垣根」のk音の頭韻が鋭く畳みかけられて、堤防を突き崩す激しい波を連想させます。

 両句ともシンプルで自然な構成の中に密度の濃い意味が設計され組み込まれていて、私はこういう俳句が好きです。たいへん失礼しました。
2016-12-04 Sun 11:38 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
私の駄句に、作者を超える解釈を付与していただき、作った甲斐がありました。

「星めぐり」はまさに自然・宇宙のめぐりの中で自分の時間もぐるぐる回っている感じを表してみました。S.Uさんのおかげでそれを格調高く表現していただけました。

「大水」の方は、鬼怒川洪水から1年経過し何か作っておこうと思って作りました。洪水から数週間後に見た家々の壁や生垣にはくっきりと一直線の浸水線が残っていました。被災された方にすれば忌まわしい浸水線など消してしまいたいはずで、1年経った現在は洗浄や剪定などでほとんど消えているのではないかと思います。あれ以来行っていないので想像で作ったのですが、生垣を斜めから見てみると、消したくても消えない線が一直線に浮かび上がってくるのではないかと思った次第です。
2016-12-06 Tue 22:36 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>「大水」の方は
 これは現地で見つけられたのですね。実視された方でないとこの感覚はなかなかわからないでしょうね。

 私の生まれた家の土間の壁にも、昭和28年台風13号の浸水線がありました。洪水は私が生まれる前のことでしたが、私が小さいうちはうっすらと見えていたと思います。そのうち自然にわからなくなりました。

>佐渡に来て 今宵は頭上の天の川
 それから、この俳句も面白いです。「今宵は」と言われると、「フムフム、芭蕉も言っているからね・・・」ともっともらしく納得してしまいますが、佐渡で頭上に見える天の川は、出雲崎で見ても関東平野で見ても同様に頭上に見えるはずで、軽く騙されてしまうところがミソですね。
2016-12-07 Wed 12:18 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>佐渡で頭上に見える天の川は、出雲崎で見ても関東平野で見ても同様に頭上に見えるはずで、軽く騙されてしまうところがミソですね。
 自分で言うのもなんですが、この句、おもしろいですよね。もちろん科学的にはどこで見たって同じようなものですが、300年ほど前に出雲崎から天の川を見ている芭蕉と佐渡で天の川を見ている今の自分の同時性を味わえるのがおもしろいところです。
2016-12-07 Wed 21:07 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>芭蕉と佐渡で天の川を見ている今の自分の同時性
 高浜虚子が重要と説いた「客観写生」というのは、俳句の文面には魚がいるとか天の川が見えるとかという客観的に眼に見える現象のみが描かれているが、そこに重層的な意味の世界がありその重層性によって作者の主観を出せることを重要視したものではないかと解釈しています。かすてんさんのこれらの俳句を含め私が秀句と思う俳句はそういうものが多いです。自分ではそういうのはなかなか作れません。
2016-12-08 Thu 08:43 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
私の駄句も、S.Uさんの解説が加わると駄が取れるようでありがたいです。

山口誓子の言う「ああ!」という感動からすぐにできる俳句もどきもそれはそれでTweet的でいいのですが、そこから時間や空間を広げながら「ああ!」の意味を見つけてそれを踏まえて少し推敲した句の前で、ちょっと立ち止まってくださるのは嬉しいです。
2016-12-08 Thu 09:49 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>山口誓子の言う「ああ!」という
 誓子の感動をそのまま詠んだ句には、重層的な意味はなくても代わりに自然や人生、現代の厳しさを見つめる新鮮な目が含まれているように思います。私もそういう句なら作れるかなと思って気を止めています。
2016-12-08 Thu 16:29 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>山口誓子の言う「ああ!」という感動
 これは俳句の真髄だと思いました。出来の良さにこだわらずに「ああ!」という感動を表現することから始めればいいんだと、星句を作り始めたのはそれがきっかけでした。
2016-12-08 Thu 16:39 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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