2016-10-23 Sun 00:00
・選考委員は自分達が誰を選んだのかまったく分かっていないことが分かった。
巧いこと言うな。そうだと思う。「ノーベル賞をありがとう」と人前へ出てきてニコニコ手を振るボブ・ディランの姿って、想像できんでしょう。 |
>選考委員は自分達が誰を選んだのかまったく分かっていない
どうやらそういうことになりますね。 松山千春がベストテンに出てくれなかったとか拓郎、陽水が紅白にでてくれないとか日本ではよく知られていますから、ディランくらいになると授賞式に出てもらえないかもしれないことは当然想定されるべきでしたね。委員会の驕りがあったのかもしれません。 辞退するならはっきり辞退すべきでしょうが、まずは打診せずに勝手にあげた側の責任ですから、今後はあらかじめ1カ月なら1カ月と期限を決めておいて、それまでに受賞意志の表明がなければ辞退されたものと見なす、というような規定が必要なのではないでしょうか。
2016-10-23 Sun 07:47 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
ノーベル賞も科学分野はまぁいいとして、文学賞、経済学賞そして平和賞に至っては賞の意義を改めて考え直すのもいいのではないでしょうか。平和賞はノーベル賞の汚点分野ですし(と言うか白人社会肯定のノーベル賞の本質が現れているというべきかも)、大江健三郎は文学賞を欲しがり出した頃から俗人になってしまったし、そんな賞でも現在も欲しそうにしている人がいるみたいですね。ディランが辞退するなら、クレクレタコラへではなく、いっそ土浦の佐賀純一先生へあげるというなら選考委員会の見識かもしれませんよ。
2016-10-23 Sun 10:39 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>土浦の佐賀純一先生
存じ上げませんでしたが、土浦にも関係のあることをおっしゃった先生がいらしたのですね。 ボブ・ディランが対象になったのは、早く言えば、英語の詩を書いていて、それが世界中の英語のよくわからない人たちに、わからないなりに深遠な意味のあるイメージを与えたからだと思います。 コンサートで歌う歌の場合、世界のほとんどの人がしらないマイナーな言語だったら、そもそも世界中にメッセージが伝わらないし、簡単に理解できるような歌詞でもだめで、それらは音楽賞になっても文学賞にはならないでしょう。 大江健三郎は、英訳で授賞が決まったのでしょうが、日本語で日本語らしからぬ難解なものを書いていたので、英訳はどうなったか知りませんがそこで有利に働く点があったのかもしれないと思います。なかなか普遍性を追求するのは難しいと思います。
2016-10-23 Sun 12:22 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>大江健三郎は、英訳で授賞が決まったのでしょうが、日本語で日本語らしからぬ難解なものを書いていたので、英訳はどうなったか知りませんがそこで有利に働く点があったのかもしれないと思います。
そうだと思います。大江健三郎の文体は、もしかすると日本語よりも西洋言語向きかもしれません。私はあの脳みそに刺さってくるような文体こそが文学を通じての日本人の脳みそへの挑戦だと思っていました(今も思っています)。そういう意味で大江の全てを否定しているわけではないですが、ノーベル賞を欲しがっていた頃は見たくなかったです。 >土浦の佐賀純一先生 つくば市の図書館にもほとんど入っていると思いますので、ぜひお読みください。佐賀先生は土浦で開業する現役のお医者さんで、患者のおばあちゃん、おじいちゃんから聞き取った聞き書を読むと、かつての霞ヶ浦の風景がくっきりと目の前に再現されておどろかされます。お父さんの進氏が描いた絵が添えられた私家版の素晴らしい本もあります。土浦には他に桜橋交差点角の保立という天ぷら屋の先代もすばらしい絵を描かれる方で、絵と文章の回想録は同じように地元の昔を知ることのできるすばらしい歴史的史料です。絵を描かれたお二人はすでに鬼籍に入られていますが、残された絵画や回想記録は土浦の宝物です。 ・『スケッチで綴るふるさと土浦』 絵 佐賀進 文と文責 佐賀純一 1974年 ・私家版『絵と伝聞 土浦の里』 絵 佐賀進 文 佐賀純一 6800円 1981年 ・『田舎町の肖像』 1993年 文 佐賀純一 絵 佐賀進 ・新装版『霞ヶ浦風土記』 文 佐賀純一 絵 佐賀進 常陽新聞社 2800円 2002年 その他にも著書は多数あります。 ついでに保立さんの回想録もあげておきます。 ・『水郷つちうら回想』 絵・文 保立俊一 3600円 1994年
2016-10-23 Sun 20:07 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>土浦の佐賀純一先生
ご紹介ありがとうございます。名前をメモして置いて、今度図書館へ行ったら捜してみますね。 もう1カ月も前になりますが、朝日新聞のネットに土浦の古い店が紹介されていましたので、ご紹介しておきます。 http://www.asahi.com/and_travel/articles/SDI2016092076701.html
2016-10-25 Tue 08:21 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
土浦の記事の紹介をありがとうございます。
水戸街道の桜橋から西側の一区画は古い町並みがいくつか残っていて観光拠点になっています。1枚目は大徳という商家の見世蔵をリノベーションした多目的施設で、その向かいにも野村の店と蔵が観光案内所になっています。さらにその裏が6枚目写真のレンガ造りの砂糖倉庫をリノベーションした喫茶店「蔵」になっています。2枚目写真の右側に紅いパイロンが立って工事中の部分がありますが、震災で大被害を受けた矢口酒店の復元工事の時の写真です。現在工事はほぼ完了していますが公式公開はまだのようです。文化財として保存されている図面を元にかなり忠実に天保年間の姿に戻したらしいです。先日プライベートで見せてもらいましたが、酒屋さんとして普通に買い物に行っていたお店ですが、ただの酒屋ではなかったことがわかりました。 土浦は地味な印象の町ですが、近世以降つい30年程前までは相当に賑わっていた町なので、面白いものはたくさんあります。
2016-10-25 Tue 09:23 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>水戸街道の桜橋から西側の一区画水戸街道の桜橋から西側の一区画
このあたりは、近くの亀城公園よりの区画も含めて、古い商店が「保存されている」という感じではなく、現役感、生活感を伴っていて良いと思います。東側や駅よりも昔は栄えていたと思うのですが、現在は苦戦中でしょうか。 私は、20年ほど前までは、しっかりとした物を買おうと思ったら、土浦の専門店まで買いに行かないといけないという状況だったので、その頃は生活感を持ってしばしば訪れていたのですが、その後は、郊外のショッピングセンターもでき、TXも開通したので、買い物に土浦に行く、ということはまずなくなりました。 思うに、古くからの町といっても土浦程度の規模と立地では、このような状況を維持するだけでも並大抵の努力ではないと思います。
2016-10-26 Wed 12:27 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>古い商店が「保存されている」という感じではなく、現役感、生活感を伴っていて良いと思います。
水戸街道沿いの、まちかど「蔵」のある辺りは旧町名を中城といいますが、約10年ほど前から街並みを保存する動きになってきていたように記憶しますが、ちょっと遅かった感があります。古い建物のまま商売を続けて来られたのは、てんぷらの保立食堂、矢口酒店、そば屋の吾妻庵本店くらいになってしまいました。 >しっかりとした物を買おうと思ったら、土浦の専門店まで買いに行かないといけないという状況だった 以前から土浦城や博物館には行く機会があったのですが、土浦を街として再発見して足しげく通うようになったのは数年前からです。そのきっかけの一つはヨメさんの下駄の鼻緒のすげ替えでした。何軒か断られたのですが、桜橋近くの水戸街道に面した中西履物店で修理してもらえました。中西さんも江戸時代から続く履物屋さんです。
2016-10-26 Wed 13:04 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>街並みを保存する動き
街並みの保存も大事でしょうが、店としての生活感覚とか現代的な実用性というのも必要なように思います。石岡にすばらしい古い商店が何件かある通りがあるのですが、別世界のようで、あまり生活感は感じられませんでした。忠実に古いものを維持するとこうなってしまうのはやむを得ないことと思います。 >何軒か断られた もうなかなかお店まで出向いて下駄の鼻緒を修理しようという方はいらっしゃらないのでしょうね。
2016-10-26 Wed 17:57 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>店としての生活感覚とか現代的な実用性というのも必要なように思います。
古い建造物の維持管理だけでも大変でしょうから、現役で使い続けるにはそれなりの覚悟とアイディアが必要なのだと思います。
2016-10-26 Wed 20:03 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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