2016-09-06 Tue 00:00
![]() 水師営というのは、日露戦争の停戦会談が行われた旅順にある駐屯地。乃木大将とステッセル将軍の会見場の庭に1本の棗の木があったと歌われている。水師営の棗といえば、東京武蔵野に住んでいた時に、近くの民家の年配のご主人がこの棗の木は日露戦争に従軍した叔父が持ち帰った種から育った木の子孫だという話をしていた。 旅順開城 約成りて 敵の将軍 ステッセル 乃木大将と 会見の 所はいずこ 水師営 庭に一本(ひともと) 棗の木 弾丸あとも いちじるく くずれ残れる 民家に 今ぞ相見る 二将軍 両将昼食(ひるげ) 共にして なおも尽きせぬ 物語 「我に愛する 良馬あり 今日の記念に 献ずべし」 ![]() →乃木神社と乃木邸 [写真は2012年8月31日に行った時のもの] 自分が東京にいた昔、乗馬を習った先生が近衛騎兵連隊、もう一人の先生は騎兵連隊出身だった。「水師営の会見」の歌と寿号については馬の物語としてその時に教えて貰った。 |
おぉっ、ご夫婦そろって水師営にお詳しいとは。
>寿号については馬の物語 乃木将軍の馬の「物語」については、井上ひさしの「しみじみ日本・乃木大将」に多く出てきます。戯曲を本で読んだだけですが、馬たちそのものが寿号や乃木将軍の思い出を物語るシーンが多かったように記憶しています。 [訂正] 井上ひさしの戯曲のタイトルは、「・・・将軍」ではなく「・・・大将」でしたので、遡って訂正しておきました。
2016-09-06 Tue 07:37 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
「水師営」に反応するS.Uさんも、今時のお方やおまへんなぁ。井上ひさしが戯曲にsていましたか。読んでみましょう。乃木大将の死後、寿号は学習院の馬術部へ行ったのだったかな。これは知りませんでしたが。
goo.gl/F7sDzy
2016-09-07 Wed 08:14 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>井上ひさしが戯曲
ぜひ、ご覧になって下さい。愚直なまでに義を重んじた軍人がいかに日本の軍国精神の形成に利用されていったかが痛烈に描かれており、常識的な価値観を超えた視点があります。 戯曲によると、「ス号」の後継に「ことぶき号」がいて、「ス号」は山陰方面で種馬として「乃木号」の父になったそうです。学習院に行ったのは大将の別の馬かもしれません。
2016-09-07 Wed 08:25 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
私の母が元気な頃
敵の大将ステッセル・・・と謳っていましたが、そこまでは知りませんでした。勉強になります。 S.Uさん
>「しみじみ日本・乃木大将」 相互貸借でよそから借りてもらうように手配してもらいました。 >「ス号」 「ス号」と「寿号」は同じ馬だと思っていました。井上ひさしが調べて書いているのならそれが正しいのでしょう。 中井さん 中井さんのお母さん世代はこの手の歌をたくさん知っていますよね。軍歌というよりも、文部省唱歌として嫌というほど聞かされたはずです。今の体調では歌のご記憶もないでしょうか?「児島高徳」や「鎌倉」などを聞かせてあげれば喜ばれると思いますよ。
2016-09-09 Fri 00:16 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>「ス号」と「寿号」
本をご覧になればありますが、「ス号」と「ことぶき号」はどちらも漢字で書くと「寿号」で血統は無関係のようです。「ことぶき号」は大将の死後、学習院に引き取られたとあります。「ス号」は種馬に行った後の記述はありません。 種馬に行った後、乗馬用に復帰することもありうるのでしょうか。また、乗馬用の馬としてカッコ良く走れる現役寿命というのは何年くらいなのでしょうか。 >「児島高徳」や「鎌倉」 鎌倉方面の歌としては、子どもの頃「真白き富士の根」が好きで良く歌っていました。歌詞はとても気の毒なものでした。
2016-09-09 Fri 06:48 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>「ス号」と「ことぶき号」
馬名の「寿号」はとてもポピュラーな名前ですから何頭いても不思議はないです。 >種馬に行った後、乗馬用に復帰することもありうるのでしょうか。 あり得ると思います。 >乗馬用の馬としてカッコ良く走れる現役寿命というのは何年くらいなのでしょうか。 ご高齢になっても矍鑠としている方もいるように、馬も一概に年齢で判断するのは難しいですね。健康に飼われていれば20歳過ぎても矍鑠とした馬はたくさんいると思います。 >子どもの頃「真白き富士の根」が好きで良く歌っていました。 有名な曲ですが、この曲は歌ったことはありませんでした。 先ほど、大阪の「靭公園」の話題になって、「靭」とは矢を入れる筒状の容器と聞き、他の言い方があったはずと、頭の中で「青葉の笛」を「更くる夜半に門を叩き、わが師に託せし言の葉哀れ、今際の際まで持ちしえびらに、、、」と一段歌いながら「えびら」を思い出しました。上方落語の「くっしゃみ講釈」みたいですな。ちなみにこの続きは「残れるは花や今宵の歌」だったかな。 これらの唱歌は全部予備校の時に日本史の金本正之先生に教えてもらいました。ついでに、金本先生は樺美智子さんの『人知れず微笑まん』口絵写真に研究室一同として一緒に写っています。ネット時代になる前に亡くなられてしまい、検索しても情報はほとんどないのが残念です。
2016-09-09 Fri 19:16 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>乗馬用の馬
何事も尋ねてみないとわからないものですね。20年とはけっこう長いですね。2歳馬のレースもあるので、現役生活長いですね。ということは、乃木大将が自害の時に飼っていた馬はどれも早死にしたことになるのか。 >日本史の金本正之先生に教えてもらいました 予備校の先生でも脱線されることがあるのですね。それとも授業時間外のことでしょうか。いずれにしても、仕方なくやる受験勉強も長い人生のうちには役に立つこともあるということですね。また、その時は価値がわからなかったことが、何十年か後には誇るべき宝物にもなるということですね。 私は、日本史と漢文は受験では不要だった(古文も結果的には不要だった)ので、受験勉強はしませんでしたし、高校の通常の成績も悪かったです。しかし、高校を卒業してから、ときどき思い出して勉強をして趣味につながりました。これは、高校の時の授業(の脱線)が面白かったからだと思います。 よく「こんな勉強をして何の役に立つのだ」という疑問をぶつける若者がいますが、「役に立たないかもしれないけど、興味が持てたらきっといいことあるよ」と答えたいです。 >えびら 私は、同じ平家の物語でも中学の古文で習った平家物語の「那須与一」の「陸には源氏・・・」のところを思い出しました。世の中の大半の人は、「えびら」といえばこちらの派閥だと思いますよ。
2016-09-10 Sat 07:06 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>2歳馬のレースもあるので、現役生活長いですね。
競馬生活を終えて乗馬になった馬は、その後の飼われ方次第で、けっこう長生きするのもいるようです。ただ、栄養状態がいまよりも悪かった時代だともっと短命だったかもしれませんね。 >予備校の先生でも脱線されることがあるのですね。 脱線ではなく、それが講義の導入なのです。たとえば、黒板に「船坂山」「杉坂」「院庄」と書きます。そしていきなり、歌ってくれるのです、『児島高徳』を。これがまた、美声なんです。そのあとで、後醍醐天皇が隠岐へ流される途中に滞在した院庄で、追いかけてきた忠臣児島高徳が追い着いて、夜の闇に紛れて『天勾践(こうせん)を空しうする莫(なか)れ。時范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず。』と桜の幹に漢詩を刻みます。朝起きてそれを目にした後醍醐天皇は、いずれ助けに来てくれることを悟る、という有名な物語を語ってくれます。金本先生については、私の人生の恩師の一人なので近いうちに書こうと思います。 >よく「こんな勉強をして何の役に立つのだ」という疑問をぶつける若者がいますが、「役に立たないかもしれないけど、興味が持てたらきっといいことあるよ」と答えたいです。 若い頃は言いがちですね。でも、「役に立たないかもしれない」というよりも、せっかくのものを「役に立てられないのは己の程度」というべきなんだろうと思います。「いつか役に立てられるように自分の器を大きくし、能力を高めなさい」とやさしく言ってあげればいいかもしれません。
2016-09-10 Sat 07:46 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>脱線ではなく、それが講義の導入なのです。
予備校の授業面白そうですね。 現在は、TVのCMで面白そうな先生が出てきて、これらの名物先生の授業もDVDで全国で聴けます。でも、昔は、良い先生との出会いは幸運でしたね。
2016-09-10 Sat 09:32 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>予備校の授業面白そうですね。
金本先生は名物講師のおひとりでしたし、それ以外でも予備校時代は勉強が楽しくて仕方がなかったです。 >昔は、良い先生との出会いは幸運でしたね。 本来ならば私のいたコースで教えてもらえる先生ではありませんでした。高校の同期で日本史を取らない友人に席を借りてニセ学生で聞いていました。他にもニセ学生がたくさんいたので、時々検閲があって追い出されながらも、なんとか1年間聞くことができました。あのころ、京大の森毅先生の『ニセ学生の勧め』が流行っていました。大学では語学以外で出席を取るなんて馬鹿馬鹿しいことはやっていなかった時代ですから、ニセ学生はいくらでもできましたが、大阪市大の近くには聴きに行きたい先生のいる大学がありませんでした。こういうのは、京都や東京の学生だけの特権ですね。
2016-09-10 Sat 12:41 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>ニセ学生
でも、その予備校に籍があって、それでプロパーでない授業を聴くのはまだ軽度の「ニセ学生」ですね。「乙種ニセ学生」とでもいいますか。予備校の場合は、完全に授業時間に比例して授業料を払うのでしょうが、大学の場合は、そうでもなくて、聴講願を出せば追加の授業料無しで聴講できる道もあったと思うので、無届けの「乙種ニセ学生」は、ほとんど問題という意識は無かったです。籍を置いていない大学に授業を聴きに行けば「甲種ニセ学生」でこれはあこがれの的ですが、私の場合、地方で近くに別の大学がなかったので、そういう機会はありませんでした。
2016-09-10 Sat 17:31 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>籍を置いていない大学に授業を聴きに行けば「甲種ニセ学生」でこれはあこがれの的ですが、私の場合、地方で近くに別の大学がなかったので、そういう機会はありませんでした。
真性ニセ学生はこれですね。私にも機会はありませんでした。
2016-09-10 Sat 20:33 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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