2016-06-08 Wed 00:00
・マヤ遺跡「発見」の少年「批判のおかげで前進」
Q:私たちがあなたの記事を掲載したとき、科学者たちがあなたの理論をこき下ろすのは単に嫉妬しているからだというコメントが読者からたくさん届きました。あなたはどう思われますか? A:僕もそう思います。科学者は、ときに新しいアイデアを怖がります。自分たちが確立した理論が批判されるのを恐れているのです。 Q:科学者は、まだ学位を取得していない人々が提唱する科学的アイデアに、もっと耳を傾けるべきだと考えているわけですね。 A:そのとおり。科学者にはもっとオープンな心を持ち、ほかの人のアイデアにも耳を傾けてもらいたいですね。 Q:一流の科学者から研究を批判されている学生たちのために一言。 A:自分の限界に挑み、決してあきらめないでください。夢を追いかけて! 15歳の少年へのインタビューと回答。小保方さんへの応援にも聞こえる。 ・科学を疑う 「人は集団に属する必要があります。その思いが強いために、集団の価値観や意見は常に科学を打ち負かすのです。これからも科学は負け続けるでしょう。科学を無視しても明確なデメリットがない場合にはなおさらです」 これもSTAP事件を言い当てているように感じられる。 |
>マヤ遺跡「発見」
面白い事件ですね。 中南米文明の遺跡が星座の形をしているというのは今までの研究で明らかになったことはないので、もしそれを大前提にして研究を進めているのならそれを批判する専門家の意見が殺到するのはもっともで正しいことだと思います。しかし、研究者はアマチュアなので、あまりしつこく攻撃すると、嫉妬と受け止められてしまうのもまたやむを得ないのではないでしょうか。素人考えも寛容に受け入れてこそ科学の進歩ですよね。また、結論の積み重ねによって研究方法が確立するという道筋もありえます。 学界というのは研究の方法論について議論する場所なので、その手の批判をするのはよいことですが、方法論ばかり論じている学界は一種のタコツボ化だと思います。研究成果がいったん発表されてしまったのなら方法論に拘らずその結論を検証する努力をまずするのが本筋ではないでしょうか。方法が間違っていても結論が正しければそれは成果ですよね。 >科学を疑う 科学そのものが常に「疑う」のが本質ですので、これは難しい問題です。また、自分ですべての情報を検証することもできません。 結局、学説ごとに、自分で信頼性の尺度を作って、「ほぼ100%正しい」、「9割がた正しい」、「8割がた正しいが間違っていてもおかしくない」、「有力ではあるが何とも言えない」・・・というように分類し、それを常に念頭に置きながら議論をするのがよいのではないでしょうか。
2016-06-08 Wed 07:31 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
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