2015-05-14 Thu 00:00
![]() ![]() ![]() ![]() ・西村製作所 代表取締役社長 西村有二さんの訃報 →西村製作所 68歳、まだお若いですね。ご冥福をお祈りいたします。 |
天気が安定しなくて、晴れても透明度がなくて苦労しますね。
ところで西村さんには驚きました。確かつくば植物園の50cmは西村製でしたかね?以前ほうき星さんに見せていただいた15cm経緯台の扱いやすさは別格でした。あの安心感が彗星捜索や惑星スケッチの定番と言わしめたのですかねぇ。いまそんな望遠鏡あるんでしょうか…。惜しい人を亡くしました…。 植物園は西村でしたか。その他では、名寄のきたすばるへ行ったときに北大のピリカ望遠鏡を見たことがあります。
2015-05-15 Fri 07:04 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
西村製望遠鏡はあちこちにありますね。
私が今まで自由に操作させてもらえた最大の望遠鏡も、西村製の25cmニュートンでした。出身の大学の教養課程のために設置されていたものです。 鏡筒を自由に回転させるのための握りがついていました。これを使って私は冥王星の撮影(2夜で移動を確認)を行いました。
2015-05-15 Fri 17:54 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
天文研究会みたいな活動ですか?教養課程に天文学のような科目があったとか?
西村は大学関係に強そうな印象があるのは京大へ納入された国産1号機の写真が刷り込まれているからかな。 http://www.nishimura-opt.co.jp/about/history/index.html
2015-05-15 Fri 19:14 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>天文研究会みたいな活動ですか?
はい。大学の天文研究会は文化サークルでしたが、私自身は自分の同好会が忙しくて入会していませんでした。しかし、ある時、冥王星の写真が撮りたくなって、天文研究会メンバーの学科の後輩に依頼したところ、その後輩といっしょに撮影するということでOKとなったものです。写真は確かトライXで、大学の暗室を借りて増感現像しました。 教養課程に「天文学」の講義がありました。望遠鏡の観望の授業もあったかもしれません。残念ながら、私は、他とぶつかったか、人数オーバーかわかりませんが、履修できませんでした。 この西村製望遠鏡は、現在、どうなったかわかりません。ドームの載った校舎は大学の移転で取り壊されました。
2015-05-15 Fri 21:23 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>冥王星の写真が撮りたくなって
当時私たちが持っていた6cmや5cmの望遠鏡では太陽系最外惑星冥王星は遠い存在でしたが、25cmあれば写りますから長年の夢が叶えられると思ったでしょうね。Tri-X増感現像で写りましたか? >教養課程に「天文学」の講義がありました。 私の大学に天文部があったかどうか、体育会系クラブに入ってしまったので、まったく記憶にありません。少なくとも教養課程には天文学の講義はなかったです。あれば取ったでしょうし、その後の私の天文との付き合い方も違っていて、天文空白期間はもう少し短くなったと思います。
2015-05-15 Fri 23:34 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>冥王星の写真
はい、写りましたし、移動も確認できました。はっきり写っている星のなかで最も暗い部類でした。追尾装置の精度が悪く少し流れていました。 >「天文学」の講義 かすてんさんの宇宙線の先生の主たる研究テーマは、天文学(一次宇宙線の発生環境のような)ではなく、物理学(原子核ハドロン反応のような)だったのでしょうか。
2015-05-16 Sat 06:58 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>冥王星
そうでした、最初に二晩の移動と書かれていましたね。 >宇宙線の先生の主たる研究テーマ 趙高エネルギー研究室には二つの流れがありましたが、どちらも天文学ではなかったですね。自分自身の天文への興味が薄かった時期ではありますが、天文学を意識したことがないです。あくまでも素粒子物理学でした。当時の自分が天文への興味を持ち続けていたら、宇宙線の見え方はもっと違ったものだったと、今は思います。
2015-05-16 Sat 07:12 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>天文学を意識したことがない
これは宇宙線の先生によって結構明瞭に分かれていたのですね。私が20年ほど前に東大宇宙線研の「ミュー・ニュー部」と共同研究していた頃は(「ニュー」(トリノ)のほうでした)、こちらはバリバリの天文学で、対象候補天体として、当時のガンマ線天文学同様、かに(M1)パルサーだのVelaパルサーだのCyg X-3だの3C273だのぞろぞろ出てきました。私は、特に信念がなかったので、天文でも素粒子でもどちらでもよかったのですが、予想と違ったので面くらいました。 これらの天体からのニュートリノはいまだに識別されていないので、現状では、多少方向性が修正されているかもしれません。観測手段は同じでも、人によって時代によって研究対象は多少変動するものですね。 >自分が天文への興味を持ち続けていたら それでも宇宙線の研究室を選ばれたのは、天文への興味の継続があったのではないでしょうか。
2015-05-16 Sat 08:25 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>宇宙線の先生によって結構明瞭に分かれていた
東大宇宙線研ではないですが、どちらに近いかと言えば「ミュー」側でしたね。素粒子物理学と天文学は宇宙物理学という仲立ちで40年前に比べるとぐっと距離が近くなったのではないかと33年の眠りから覚めた時に感じました。 >それでも宇宙線の研究室を選ばれたのは、天文への興味の継続があったのではないでしょうか。 天文を宇宙物理学さらには物理学で理解できるようになりたいという素朴な興味に変わっていったのだと思います。その頃から明るい空の下で撮る写真とか、小型望遠鏡で見える世界への興味は遠くなりました。家を離れて、遊びの道具など置いておけない狭いアパートで暮らし始めたこともあるかもしれません。
2015-05-16 Sat 13:43 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>天文を宇宙物理学さらには物理学で理解できる
この理由で宇宙線研究室に入られたのでしたら、現在から見ると「先見の明があった」ということになるでしょうね(結果論かもしれませんが)。謎だらけだった宇宙線が、物理学でだいぶ明らかになりましたね。
2015-05-16 Sat 17:10 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
先見の明はどうだかわかりませんが、少年期にやっていたような「天文」への興味は薄らいでいましたが「宇宙」には惹かれたままだったのでしょう。
2015-05-16 Sat 18:19 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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