2015-06-29 Mon 00:00
この前、軍艦島アーカイブスの記事の中で表題のようなことを書いたのだが、それは、日本の近代とその終焉を象徴するあの特異な軍艦島に限ったことではなさそうだ。身近な身の回りのものでさえどうすればこれほどまでに変われたのかと人間の感覚の頼りなさを感じてしまう。私たちの日常は24時間という短い時間が隙間なく連なっているため、わずかずつ移ろいゆく風景にはどうしても鈍感になってしまうようだ。
この前、実家に戻った時に子供時代のアルバムを見返しながらも同じことを考えていた。初めてカメラを手にした8歳の私が旅行先でのあれやこれらを撮ったアルバムから2枚をご覧に入れよう。もはや古写真の仲間入りだと思う。 ![]() ![]() 父も母も弟も健在だが、やはりあの人たちは、あのころの日本はどこへ行ってしまったのだろうかと思わないではいられない。 |
かすてん少年は、年少ながらも写真の名手ですね。働くおばさんを中央に入れ、ついて歩く少年(弟さん)を手前の端に入れるという心憎いフレームです。
めずらしい縦横比ですが、高級なブロニー判カメラだったのでしょうか。我が家にあるとても古い写真は、おおむね正方形(たぶん二眼レフの6x6)だったように覚えています。 1964年には、うちのような田舎でも、すでにおもに35mmフィルムが使われていたようです。
2015-06-29 Mon 17:32 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
これは(おそらくそれほど高級ではない)二眼レフ6X6版でした。コニフレックス?
私たちは、幕末古写真とさほど変わらないこうした風景の中の一人だったことにいまさらながら驚きます。
2015-06-29 Mon 22:12 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>二眼レフ6X6版
じゃあ、昭和30年頃の普及品ですね。当時の価格は4万円くらいですから、普通のサラリーマンでもボーナス1年分はたけば買えたでしょう。 >幕末古写真とさほど変わらない 田舎はこんなのでしたね。でも、東京オリンピックの年の、一応、関東ですからね。 山村では、もっとすさまじかったですよ。
2015-06-29 Mon 22:48 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>昭和30年頃の普及品
私の写真は産湯からありますからまさに昭和30年代初期のカメラだと思います。ただ、そのとき父は結核の手術で入院中だったのでおそらく母の兄が撮ってくれたのでしょう。 >東京オリンピックの年 地域間で格差が拡がり始めた頃ともいえますね。都会は激しく変わって行き、田舎へ行けばまだ昔が残っていました。
2015-06-29 Mon 23:33 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>昭和30年代初期
二眼レフは、どこのうちにもあるというものではなかったですね。うちには無かったです。ボーナスが生活費で、はたきたくてもはたけない家もあれば、無理な借金して買う家もあったでしょうから、まさに趣味の品だったと言えるでしょう。カメラを持っている近所の人に撮ってもらう、ということも多かったでしょうね。 昭和35年くらいになると、廉価版の35mmカメラが1万5000円くらいですから、比較的楽に買えるようになったのではないでしょうか。
2015-06-30 Tue 00:14 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
伯父(母の兄)は車やカメラなどの機械ものが好きで、幼い自分が遊びに行くと車の絵を描いてくれたりカタログをくれたりしました。私の父も母も理科的なひとではありませんから、理科好きの三つ子の魂はこの伯父が授けてくれたのかもしれません。その頃は実家暮らしの独り者で給料は全て趣味につぎ込めたのかもしれませんが当時としてはけっこういいものを持っていました。二眼レフは父が最初に使ったカメラですが、伯父から譲られたものでしょう。伯父は初代ニコンFが出てすぐに買い、ほとんど新品のままタダ同然で父へ譲り、自分はフォトミックを買ったようです。そういうわけで父はボーナスを全部叩かなくてもその一部でハイレベルアマチュア機材を手に入れられたのではないかと思います。
2015-06-30 Tue 06:01 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>車やカメラなどの機械もの
叔父さんの趣味によるところが大きいようですね。 いずれにしても、当時の趣味はお金がかかりました。給料の何か月分かをはたかないといけないというのは、今から見るとウソのようです。 うちには二眼レフはありませんでしたが、オーディオが趣味だったようで、電蓄(ラジオとSPレコードプレーヤーがセットになったもの)がありました。これもカメラと同じ程度の値段のものでしょう。 今日では、カメラだオーディオだと言っても、機械は1日分の給料で買えますし、そもそも携帯電話にはじめからついていますから、持っていること自体はどうってことなくなり、趣味として張り合いが無くなりました。
2015-06-30 Tue 10:41 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>電蓄
小学校半ば頃、団地の4畳半の部屋に4脚天板開閉式のステレオがドドドーンと置かれました。メーカーは忘れましたがVictorSTL-34型(http://goo.gl/7tVh66)というのにそっくりのものでした。 父は音楽趣味もないので誰も聞かないまま数年が経過し、グループサウンズブーム到来と共に私のプレイヤーになりました。 >趣味として張り合いが無くなりました。 ジャンルごとのレベルが高度化してちょっとかじるくらいでは趣味と名乗るのがおこがましいくらいです。私など「何事も中途半端で渡り歩くのを趣味としている」と居直っています。
2015-06-30 Tue 11:34 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>音楽趣味もない
当時は、ステレオが流行りましたね。音楽趣味が無くても家具として、応接間のサイドボードの代わりに買った人もいるかもしません。このビクターのはちょっと古風ですね。昭和30年代の真空管式でしょうか。「スピーカーが2つある電蓄=ステレオ」ということですね。 グループサウンズ全盛の昭和43年頃以降は、トランジスタ式セパレートが主流になっていたと思います。音は真空管のほうが良いと言われていたかもしれませんので、かすてんさんの機械は若者にも評価が高かったかもしれません。もっとも、1980年代にCDが出始めた頃も、音はアナログレコードのほうが良いという人も多かったです。
2015-06-30 Tue 14:04 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>昭和30年代の真空管式
真空管だったような気がします。そしてまさに家具でしたね。我が家のは天板開閉式でしたが、日本の住宅事情ではステレオの上にも何かを置けるようにという理由からか、その後は天板が開くタイプは減ったのではないでしょうか。トランジスタのセパレートタイプを買ったのは高校に入ってからでした。
2015-06-30 Tue 17:28 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>天板開閉式
我が家のは、中学生の時に父が中古で買ってきたトランジスタ式のセパレートだったので、このタイプではごく初期のものです。ナショナルのテクニクスでした。確かに、テクニクスにも天板が開かないタイプがありますね。 といっているうちに、コンポーネントタイプが流行るようになって、家具ではなくなってしまいました。レコードプレーヤーは、透明のプラスティックのフタになってしまい存在感が薄くなりました。
2015-06-30 Tue 20:28 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>家具ではなくなってしまいました
音楽プレイヤーだけでなく、ラジオやテレビも軽薄短小化とともに家具ではなくなっていきました。
2015-07-01 Wed 22:15 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>家具ではなくなっていきました
何を思ったか、もうすぐこういうのを売り出すそうです↓ http://gpad.tv/develop/haier-aqua-digi-type1/ 冷蔵庫はもとより家具ではありませんが。
2015-07-02 Thu 06:30 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
冷蔵庫でテレビも見られるようになると日本の狭い住環境に適しているかもしれません。ただ、リビングがますます暑くなりますが。そしたらエアコン付き冷蔵テレビが欲しくなります。
2015-07-02 Thu 08:20 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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