大学の同窓会報が届いた。1月に逝去された恩師への追悼記事が載っていた。当時助教授だったその先生のことを私たち学生は最愛の情(?)を込めて「ユリちゃん」と呼んでいた。お名前の百合夫の愛称だ。ユリちゃんの講義はユニークだった。講義に使う図は全て模造紙に手描きされた美しいカラー図であった。何十年同じ模造紙を使って来たのだろう、至る所に破れを補修した跡がある。現在のようなプロジェクター時代だったらどうしただろうか、いやいや考えるまでもない、ユリちゃんのことだから相変わらず模造紙を使い続けたはずだ。

ユリちゃんの退官が目前に迫っていたため、光栄にも私たちは講義を聴けた最後の学年になった。私は1年間の講義の板書、実習材料リスト、試験問題などを『ユリちゃんの○○学総論 最終講義』と題して、手縫い製本して今も保存してある。久しぶりにぱらぱらと読み返して、学生を困らせるときのユリちゃんのイジワルな、それでいて分かる者には分かるユーモア溢れる口調が蘇って来て笑ってしまった。
追悼文の中に、定年近くになって自家用車が高く売れたので駐車スペースに天体観測所を作ったとか、構内で拾って来た塩ビ管で望遠鏡を作ったり、張りぼての天球儀も作っていたなどといったエピソードが書かれていた。当時の自分は天文空白時代だったとは言え、ユリちゃんと星の話をする機会がなかったことは大いに悔やまれる。
「私が100知っている。みなさんは1か2知っている。しかし、chaosの前にはどちらも同じことです。」ユリちゃんは謙虚なお言葉で最終講義を終えられた。ご冥福をお祈りする。