33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
小学校観望会のお手伝い
2014-01-12 Sun 00:00
1401111.jpg今夜はつくば星の会のみなさんに混じって近隣の小学校で観望会のお手伝いをして来た。写真は準備中のもので、空にはどんよりと雲が掛かり、肉眼では月と木星が辛うじて見える程度。私は、Teegul-100で月を、10cm双眼鏡でM42を予定していたが、この曇り空ではM42はあまりにしょぼ過ぎるのでプレアデスに変更、Teegul-100でM42を見てもらうことにした。その他の方々は、12.5cm屈折で月の拡大、27.5cmシュミカセで木星、9cm屈折で月の全体といったラインナップ。
教室での講座が終わって生徒さんたちが校庭へ出てきてからは怒濤の数十分。自動追尾しない経緯台を2台扱っていたものだから、かたっぽで説明しているとかたっぽがあらぬ方向を向いていたりして忙しいのなんの。途中、観望会風景のスナップ写真1枚すら撮れなかった。
観望会の後は生徒さんたちといっしょに教室で親御さんが準備してくださった暖かいトン汁をごちそうになった。そうこうしているうちにお迎えが来て、私たちも解散となった。
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この記事のコメント
この厳寒の時期に観望会とは元気な小学校ですね。
参加者は学校関係者限定ですか?
 
  望遠鏡で見たM42の姿は、少々しょぼくても、頑張って見た、ということで子どもたちの記憶に残ることでしょうね。
2014-01-12 Sun 09:29 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
天体は4年生時の履修科目なのでその時期に観望会をするらしいのですが、この6年生は4年生時に出来なかったことと、人気(?)解説担当者のスケジュールが一杯で土曜日になったということでした。
幸い風が無かったので私たち年寄りにも楽でしたから、子どもたちはへっちゃらだったと思います。参加は6年生徒と希望する保護者という感じでした。終わり近くになって迎えに来たおばぁちゃんがたいそう熱心に見て楽しんでいたのが印象的でした。
双眼鏡で見るすばるなどの散開星団は人気ですね。M42はTeegul-100の42倍で見てもらいました。星の周りにうっすらと拡がったガスの感じは分かってもらえた様です。
2014-01-12 Sun 10:34 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>この6年生
 卒業前に履修できてよかったですね。
 小学生相手は楽しそうでよろしいですね。

 私は最近は子ども相手というのはないですが、2012年の金環日食の時に結果的にそういうことになりました。小学生は、自発的にスケッチを描いたりあとで日記にしてくれたりするのでうれしいです。
2014-01-12 Sun 11:41 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>小学生相手は楽しそう

先生方は「6年にもなってうるさくて済みません」と言われていましたが、このくらい賑やなのが正常でしょう。近年の天文趣味の中には「観望会」という分野が確立されているようですが、確かにスタッフとして参加するとまたやりたくなりますね。
2014-01-12 Sun 11:53 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
延々と星空みる子供達の違いは
校舎の周りは宇宙空間が無限に広がり、その中で星に興味持つ子供達が右往左往する様、拝聴し想像するだけで心温まります。
ネオンの光で育った都会の子供達と本物の星の光で育った子供達とではどんな違いが出るのでしょうか。

子供の時の環境が一生を支配するのであれば、ぜひ多くの子供たちに本物の星の光を見ながら育って欲しいし、きっと豊かな心で育ってくれると確信しています。

都会の学校では余り聞いた事の無い試み、大歓迎です。
2014-01-12 Sun 19:52 | URL | ワン星の会 #fATzssXU[ 内容変更]
私の小学生時代、昭和30年代後半から40年代始めですが、理科の中で星の話を聞いた記憶がありません。当時は興味が無かったのでしょう。もちろん観望会などという行事も無かったです。もしも、観望会があったらそれに参加していただろうし、そうすれば数年早く星に興味を持っただろうし、そうすれば池谷・関彗星も見られたかもしれません。

>都会の学校では余り聞いた事の無い試み、大歓迎です。

どうなのでしょうか、行われていないのでしょうか。学校側は夜間に生徒を集めることに躊躇するのかもしれませんね。田舎の場合、送り迎えは車が前提なのでかえって親も学校も夜間故の不安は小さいかもしれません。
2014-01-12 Sun 23:14 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
私の狭い経験では、小学校低学年の時に学校の理科の指導で月の満ち欠けを観察し、満月のあと今度はどちら側からかけ始めるだろうかというのを見るために月の出を待った記憶があります。それから、4~5年生くらいの時に夏頃に星座を初めて学んで、さそり座はその時に空に見つけたように思います。これらの時には、まだ天文趣味はやっておらず、気象のほうが好きでした。

 小学校では天体観察会はありませんでしたが、高校3年の時にその小学校の夏季合宿(一晩だけ)が私の地区の公会堂であったので、天文同好会で星を見せに行きました。運良くコバヤシ・バーガー・ミロン彗星が明るく見えていました。

 かすてんさんのおっしゃる理由もありますが、田舎のほうが夜間の活動をしやすいもう一つの要因として、田舎では昔から、夜間の野外で子どもの参加行事があったということも関係していると思います。昔は、盆踊り大会、地蔵盆、お月見会などで夜に子どもが外を走り回るという基盤はできていましたね。ほかにも、相撲大会、天神講も夜までやっていました。今でも、郊外の住宅地で、盆踊りや子供会の出店などを夜にやるところでは観望会もやりやすいかもしれません。

 ワン星の会さん、かすてんさんは、東京近郊の住宅地にお住まいの経験がおありだそうですが、そういう子どもの夜間行事はありましたか。
2014-01-13 Mon 07:53 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>4~5年生くらいの時に夏頃に星座を初めて学んで〜

そうでしたね。左側のカテゴリー「私の天文履歴書」に書いた様に4年生時の学研『科学』に青く四角いプラスチック製の星座早見盤が付録でついて来ました。そのときはまったく興味なかったです。興味なかったというはっきりした記憶があります。いまも覚えている当時の心境は、「今は興味ないのでこれの使い方を学ばないけど捨てるには勿体ない予感がするので取りあえず本棚に差し込んでおこう」でした。1年ほどして別に何がきっかけということもなく、その青く四角いプラスチック製の星座早見盤が本の隙間から引き出されたのでした。今考えると凄い予感でした。S.Uさんやワン星の会さんとの接点がこの時に予定されたわけですから。

>田舎のほうが夜間の活動をしやすい

お祭りや行事の経験ですか。団地の夏祭りくらいはありました。
小中学生が夜間出歩くのは不良のレッテルを貼られかねませんでしたが、私の所属したボーイスカウトの団は指導者の都合もあって活動は土曜の夜でした。夜間ハイクや露営など夜の活動は楽しかったですね。
2014-01-13 Mon 08:51 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>捨てるには勿体ない予感

 こういう優れた予感が持てるのは少年少女の特権ですね。

トシをとると立場は逆になって、「こんなもの大事にしまってあるけど、もう一生使わんだろうから捨てたがいいんでないの」となります。

>小中学生が夜間出歩くのは不良のレッテル
 あぁ、少なくとも昔の田舎ではこれはなかったですね。近所の人にも、習い事や勉強とかお使いとかいい方に解釈してもらえたと思います。田舎では不良はどこへ行くのでしょうね。

 習い事の帰りや、火の用心の夜回りや(子どもがやっていました)、地区の行事の時に、見上げた空の月や星座のことは、今でも強く印象に残っていて、天文民俗などを考える上のベースになっていると感じます。
2014-01-13 Mon 14:42 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
S.Uさん

>田舎では不良はどこへ行くのでしょうね。

不良が生息できるのも不良の行き場がある街場だからということなのでしょうね。

>火の用心の夜回り

子どもにまかされていたというのはすごいですね。S.Uさんたちは集団の中で社会的によく成長していたのでしょうね。
2014-01-13 Mon 22:08 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
お疲れ様でした
観望会お疲れ様でした。

私は、はじっこの9cm屈折で月を見せておりました。
明暗境界線の「虹の入り江」を見て、小学生が『綱みたいのある!』と言っていたのが印象的でした。
子供さんの鋭い観察力には、毎回驚かされます。

皆さんのコメントを見て、私も小さい頃、火の用心の夜回りをしたのを思い出しました。
田舎の中でも新興住宅地でしたけど、星はよく見えていましたね。
満月の夜は明るく、月のない夜は暗い、そんな当たり前の事を憶えたのも、その頃です。
2014-01-13 Mon 23:15 | URL | どかん #Y17400wE[ 内容変更]
どかんさん、いらっしゃいませ。

あの日の虹の入り江は迫力ありました。
そういうものに反応してくれるとうれしくなりますね。

私の子供の頃、子供夜回りってあったかなぁ?東京でも郊外だったのであったかもしれませんが、私が忘れているだけかも。
2014-01-13 Mon 23:51 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>火の用心の夜回り~子どもにまかされていた
 学校の指導はなく地区(自治会の最小単位)の子どもが仕切っていたように思います。当時は、先輩がやるから後輩もやるというだけで、自主的とか強制とかそういうことも言われず、責任者もあいまいな良い時代でした。

 夏は日が暮れて空がかなり暗くなる時間帯でした(薄明るい時刻はまだ外で遊んでいました)。冬もやったはずですが時刻はもっと早かったでしょう。

 季節ごとに開始時刻と当番の割当を設定して3人くらいで回ったものだと思います。そろばん塾へ行く人が多かったり見たいテレビ番組を主張する人がいたので、都合の良い曜日だけ人を選んで決めたかもしれません。毎晩やることはなかったと思います。

 どかんさんのおっしゃるように、月夜の明るさは印象に残っています。夜の行事の時には月の影で「影踏み鬼さん」をしたものです。
 
2014-01-14 Tue 07:56 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>学校の指導はなく地区(自治会の最小単位)の子どもが仕切っていたように思います。当時は、先輩がやるから後輩もやるというだけで、自主的とか強制とかそういうことも言われず、責任者もあいまいな良い時代でした。

これですね、昔と今とを比べた時に子供力に大きな差を生み出している要因の一つ。小さなシステムの中で社会の仕組みを学んでいく実践の場でした。

子供を成長させるこうした社会的装置がどんどん失われてしまうことで、社会の力も弱って行くのでしょうね。
2014-01-14 Tue 14:19 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>子供を成長させるこうした社会的装置

 ひとつは、地区の学年の異なる子ども達のつながりがなくなったことが大きいです。昔は、親は、地域の上級生を信頼して(いちおうそういうことにして)自分の子どもと遊んでもらっていました。

 かつてなら、観望会があるというようなニュースは、上級生から伝わってきて子どもが勝手に参加する計画を立て、最終的には親の了承をえるものの、計画段階で親や先生がはいってくる余地はなかったと思います。
2014-01-15 Wed 07:31 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>親は、地域の上級生を信頼して(いちおうそういうことにして)自分の子どもと遊んでもらっていました。
>最終的には親の了承をえるもの

こういうシチュエーションは多かったですね。
2014-01-15 Wed 08:16 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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