>ナイスビューポイント
すばらしく眺めの良いところですね。 江戸時代の農民は、自分の村を出て遠くまで旅をするのは、一生のうちに一回あるかどうかくらいだったといいますが、ここのように遠くの山々がすぐ近くに見えるところの人々は日々どのような思いで暮らしていたのかと、ふと思いをはせました。 特に笠間は、水戸街道、宇都宮道、そして関東のみならず全国に繫がる街道を容易に見下ろせる感じのところにあったので、旅への思いがつのることも多かったのではないかと思います。
2014-01-03 Fri 08:02 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
JR水戸線羽黒駅の東にある羽黒山の麓の羽黒神社鳥居からとにかく直登。途中からは鎖場ならぬロープ場が延々と続きます。もしも雨の後でしたらロープがあっても難儀したかもしれません。
>遠くの山々がすぐ近くに見えるところの人々は日々どのような思いで暮らしていたのかと、ふと思いをはせました。 温暖な茨城の地から遥かに雪山を望む時には、自分たちの土地がなんと暮らしやすい場所かと昔の人は感じたのではないかと思います。
2014-01-03 Fri 20:09 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>ロープ場
それは城としても不便ではないかと思いますが、そういうものなのでしょうか。物見台だけの目的ならそれでもいいのかもしれませんが、馬や武器を置くには難しいですね。 >温暖な茨城 そうですね。江戸時代の笠間はけっこう寒かったとしても、雪に閉ざされて交通が妨げられるということはない点で、那須や上毛とはえらいちがいであることはことあるごとに認識されたでしょうね。
2014-01-04 Sat 07:04 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>城としても不便ではないか
雨上がりでは城兵すら登城できないような城では困りますよね。おそらくこの直線路は後世に参拝道として付けられたのだと思います。羽黒山の南の麓に館跡(現在湮滅)がありそこからの登城道があったらしいので、いわゆる平時の住居地域である根小屋はそこにあって、いよいよの時は山城に立て籠るという事だったと思われます。
2014-01-04 Sat 13:49 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>そこからの登城道があった
歳月を経て城へとたどる道さえ消えてしまうとは、「荒城の月」どころではござりませぬな。
2014-01-05 Sun 07:49 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
現在も使われている道もあれば、まったく薮に埋もれている道もあります。でもそういうことはお城に限らず、数十年前まで人が住んでいても無住になると朽ち果て屋敷までのアプローチすら分からなくなってきます。自分の家とか職場とか時代や状況が変わって利用が放棄されたら瞬く間に薮に覆われてしまうのだろうなとか想像することがあります。
2014-01-05 Sun 08:06 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>利用が放棄されたら瞬く間に薮に覆われてしまう
また、そういうのを後世のもの好きの人が掘り返したり測量したりするのかもしれませんね。
2014-01-05 Sun 17:40 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
猿の惑星になったとき、KEKを発掘した猿たちはどんな議論をすることでしょう。
2014-01-05 Sun 20:55 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>KEKを発掘した猿たちはどんな議論
もし、将来、我々の文明が滅びて、さらに将来、別の文明が地球を支配した時に、地下の円形のトンネルから加速器が発掘されたら、それは何の機械で何を目的に作られたのかわかるだろうか、というような想像や議論は、私たちの仲間内でもしばしばしたものです。日本中(世界中?)の高エネルギー加速器実験の研究室で話題になることかもしれません。 私としては、特に結論はないんですが、なかなかわからないかもしれない、とかいうのが少しおもしろい想像です。電磁石はわかるでしょうね。目的はわかるかな。
2014-01-06 Mon 18:38 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
そうですか、みなさまもそのような想像をされていましたか。ある程度の科学文明を持っていれば、すぐに解明されるのではないでしょうか。「ずいぶん幼稚だね」なんて評価されたりしてね。
私のところなどどう考えられるでしょうね。千年や二千年のズレなど同時代の感覚であれば、古代の軍団基地と思われるかもしれません。
2014-01-06 Mon 19:52 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>すぐに解明
でも、古代遺跡でも、宗教施設か科学施設か見分けるのはなかなか難しいようですよ。酒船石遺跡とか。 で、私らが議論すると、結局は、話がアサッテに行って、それじゃあピラミッドも実は科学研究施設かもしれないとかそういう矢追純一氏のような話になりました。 >古代の軍団基地 ははは、もう何千年もたつと、日本現代文明もローマ帝国属国・地域選抜団と一緒くたですか。
2014-01-06 Mon 20:30 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>宗教施設か科学施設か見分けるのはなかなか難しい
はは、KEK-Bリングなど、占い用の高精度ルーレットにも見えますかね。 >古代の軍団 ローマ帝国と言わずこの近辺にも軍団跡はあるのですよ。古代の信太郡衙の場所は、ほぼ旧江戸崎町君山の台地で良いと思いますが、私の生活圏も候補地の一つ。郡衙とえば、寺院・倉庫群・軍団などがセットになっていますので、700年代と2000年代などわずか千数百年の差、何万年も未来の文明からすれば同時代みたいなものでしょう。
2014-01-07 Tue 09:47 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>700年代
そんな昔から軍団が常設されていたんですね。 筑波郡の平沢官衙遺跡に見学に行ったことがあります。当時から中央に準じた役所の態勢を取っていたとすれば驚きです。筑波郡の軍団はどこにいたのでしょうか。
2014-01-07 Tue 21:08 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>筑波郡の軍団はどこにいたのでしょうか。
数個郡に1軍団らしいので必ずしも筑波郡にあったとは限らないかもしれません。江戸崎君山の台地にはいまも布目瓦が散布している廃寺跡があるので信太郡衙と考えてまず間違いなさそうですし、近くには長者山や鎧作地名もあり、軍団跡の伝承もあるようです。
2014-01-07 Tue 22:31 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>数個郡に1軍団
そうですか。ほかに稲敷郡と新治郡もありますね。こういうのはもっと後からできたのでしょうか。 完全に郷土史スレッドになりましたね。
2014-01-08 Wed 19:50 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>完全に郷土史スレッドになりましたね。
リンクの下の方からこっそりと郷土史ワールドへ入ってもらうという手もありますよ。 そうそう、新治郡は古代の律令時代にできましたが、稲敷郡は明治以降なので古代の郡ではないです。稲敷郡域はおおよそ信太郡でした。それから古代の郡と現在の郡と同じ名称のところも多いですが、位置など全く違うので注意が必要です。
2014-01-08 Wed 20:22 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>位置など全く違う
こういうの面白いですよね。明治時代には土浦から遠いところまで新治県がありましたし、小貝川をはさんで常陸と下総に分かれていたり、茨城県の最南部に「北相馬郡」があったり。 >郷土史ワールド あちこち調査されていますね。いちおう、天文の話に繫げますと、昨年12月に私も土浦市内の沼尻墨僊のお墓に参ってきました。
2014-01-08 Wed 21:27 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>尻墨僊のお墓に参ってきました。
郷土のサイエンティストに敬意を払ってお墓参りとは結構なことですね。
2014-01-08 Wed 23:00 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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