最近、こちらでは夜半過ぎの空がきれいで、目が覚めたときにオリオン座が出ていると、涼しいのも手伝って見入ってしまいます。
ところで、最近、リゲルと比べて気がついたのですが、最近のベテルギウスは、昔と比べて明るくなっていませんでしょうか。こちらの目の感色性が変わったためかもしれません。AAVSOのライトカーブを見ると、1970年代と現在では、0.3等くらい明るくなっているようですし、ここ2年ほどでも少し明るくなっているように見えます。どちらの効果もありそうです。
2012-09-08 Sat 06:34 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
ベテルギウスは2000日くらいの周期の中で3ヶ月程度の小さな変動が重なって見える様ですね。実際一冬観測しているだけでも変化を感じ取れます。私のいい加減な観測でも傾向は捉えています。
http://seiten.world.coocan.jp/v_alpha_Ori.htm ここ数年明るめの様です。このまま超新星爆発まで突っ走ることは無いでしょうが。
2012-09-08 Sat 08:37 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
あぁ、不規則変光星と言われるベテルギウスも複雑かつ検出可能な周期性があるのですね。このようなパターンが崩れ始めると、超新星爆発がやばいということになるのでしょうか。
ベテルギウスは星に詳しくない人にも有名な星だと思いますが、こういうのの明るさの変化に注目することから、天文趣味に入門する人がいたらすばらしいと思います。
2012-09-08 Sat 10:14 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>このようなパターンが崩れ始めると、超新星爆発がやばい
人間が認識している星が超新星爆発するケースというのはこれまで無いのでしょうから私たちが採っている記録はたいへん貴重なものになるはずです。もっとも、これから何億年先に役に立つのか知りませんけど。 >ベテルギウスは星に詳しくない人にも有名な星だと思います〜 ベテルギウスも比較星に使うプロキオンとアルデバランも全て1等星ですから余程の都会でなければどこにいても見られる星々で、かつ変光光度は私が見たわずかの期間でも0.5〜1.3等と結構幅がありますから、少し練習すれば誰でも楽しめる対象だと思います。
2012-09-08 Sat 12:21 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>ベテルギウスも比較星に使うプロキオンとアルデバラン
今朝(2012.09.08.78UT)も見て、0.5等と見ました。 Wikipediaのデータでは、 0.0 - 1.3等(変光)[天文観測年表2008] (平均等級 0.58等) となっていますので、現在とても明るいわけではなく、昔、暗かったときによく見た、ということでしょうか。今後は明るくなるかもしれません。
2012-09-09 Sun 07:02 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
暗い時にTri-Xで写すとさらに暗く写ったことでしょう。
2012-09-09 Sun 10:17 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>Tri-Xで写すとさらに暗く写った
Tri-Xにはよくお世話になりましたが、ことオリオン座については、ベテルギウスが三つ星より暗く写ったりして、リアリティに欠けるので、オリオン座にはあまり積極的に使わなかったように思います。
2012-09-09 Sun 16:29 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>リアリティに欠けるので、オリオン座にはあまり積極的に使わなかった
代わりにフジX-Rayを使う方も多かったですね。ただ、明るい星の周囲ににじみが出たり、黒の締まりが悪かったりで、シャープさ命のTry-Xとは好みが別れるところでした。シャープな画像が好きだった私はやはりTri-X派でしたので、X-Rayは1回だけ話のタネに購入したことがあるだけです。
2012-09-09 Sun 18:28 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>フジX-Ray
X-Rayフィルムは聞いたことはありますが、使ったことはありません。イルフォード社のフィルムもあったと思いますが、買ったことはありません。 ここで思いついて、1972~1978年に刊行された、我らが同好会誌「銀河鉄道」印刷版の表紙写真のうち、月、惑星、星(彗星、星雲などを含む)が対象になっているもので、フィルムデータがあるものの統計をとってみました。(撮影者は、3人程度で順繰りに回していましたので、私の撮影のものばかりではありません) 結果は、Tri-Xが17、NEOPAN SSSが11、あとは、フジクロームR100が2、NEOPAN SS、NEOPAN400、フジカラーF-IIがそれぞれ1でした。 次にオリオン座が対象のものを調べると、3点ありましたが、いずれも、NEOPAN SSSで撮られていました。どうやらTri-Xは意図的に避けられたようです。
2012-09-09 Sun 19:00 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>X-Rayフィルムは聞いたことはありますが、使ったことはありません。
同世代ですが使われませんでしたか。 Tri-Xも後にはロールフィルムを買って安く押さえる様にしましたが、中学低学年頃はロールを切って自分でパトローネに充填するなど手間を考えると手を出したくなかったです。 >フィルムデータがあるものの統計 Tri-XとNEOPAN SSS、まさしく当時の主力フィルムでしたね。
2012-09-09 Sun 21:15 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>X-Rayフィルム
私の場合は、自分の住む街の普通の写真店の店頭ですぐに入手できるかどうかが大きかったと思います。遠くの大都市までフィルムを買いに出かけたり取り寄せを注文したりはしませんでした。Tri-Xのロールフィルムは常に何個かは店にありました。天文好きばかりが買っていたのかどうかは知りません。X-rayフィルムが売られていたか、ちょっと記憶にありません。 ロールフィルムをパトローネに詰めるのは、いきなりは暗室でパニックになるリスクがあるので、フィルム現像作業で一定の経験を積んで自信を持たないとやる気になりません。私がこの作業を始めたのも高校に入ってからでしたが、逆に中学生には経済的に負担が大きかったです。
2012-09-10 Mon 07:42 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>自分の住む街の普通の写真店の店頭ですぐに入手できるかどうか
子どもの頃はこれは大きなポイントでした。それにしても、Tri-Xのロールフィルムが常に何個かは店にあったとは、福知山には熱心な写真家が存在していた証拠ですね。私が住んでいた東京多摩地区の写真屋はネオパンSSSまででした。Tri-Xは私が取り寄せてもらいました。 中学校2年の頃からモノクロの現像引き延ばしに手を出したころから日曜日になると新宿のヨドバシカメラへ仕入れに行く様になり、Tri-Xのフィートロール缶を買うことになりました(それ用の巻き取り器具もありました)。フィルムについてはこれで湯水の如く?使える気分になりました。X-Rayは缶入りのみで、ヨドバシには置いてあったと記憶しています。 >フィルム現像作業で一定の経験を積んで自信を持たないと〜 余裕を持って暗室作業ができるようになってからの段階でしたね。 私は自宅に暗室が無かったので(それが普通ですが)、まず最初は夜になってから布団を被って現像タンクのベルトにフィルムを巻いていました。その後はダークバッグを使いました。現像タンクもそのうちにベルト式から渦巻き式の方が使い易くなりました。 S.Uさんの場合、仲間が沢山いたでしょうからTri-X長尺フィルムを分け合えばかなり安くついたことと想像します。
2012-09-10 Mon 10:26 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>熱心な写真家が存在していた
そう言われれば、福知山になければもう京都に行くしかありませんからね。そんな偉いものかと思って、現在、その店をweb検索してみましたら今でもありました。かすてんさんのおっしゃるとおり、地元のカメラファンに支えられた筋金入りの老舗のようです↓ http://www.yoshiya21.com/Pages/default.aspx 中学や高校からそう遠くないところにこういうお店があってラッキーでした。 >Tri-X長尺フィルムを分け合えば よく憶えていませんが、分けたり、分けてもらったり、2~3回はやりましたね。それから、天文とは無関係に、白黒写真のキャビネ焼き付けを請け負う商売もしていました。フィルム現像は、私も暗室がなく、夜でも通る車のライトに照らされるリスクがあったので、他人の請負はお断りしていました。
2012-09-10 Mon 19:31 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>中学や高校からそう遠くないところにこういうお店があってラッキーでした。
本格的なお店があってよかったですね。ここならば当時の私たちの要求レベルであればヨドバシとさして変わらなかったことと思われます。 >天文とは無関係に、白黒写真のキャビネ焼き付けを請け負う商売もしていました 当時は多摩地域にはSLがまだまだ走っていましたので、私も鉄ちゃんとまではいきませんが、けっこう撮影に行きました。4つ切写真などは結構な金額を取られましたから自前の引き延ばし技術は役に立ちました。父の同窓会写真の複製および引き延ばしを請け負った事もありました。やはり同じような事をしていたみたいですね。
2012-09-10 Mon 21:17 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>多摩地域にはSL
おっとー、多摩でもまだSLが走っていましたか。私が通学に利用した山陰線の区間で走っていたのは、私が中学1年の時まででした。 私たちの同好会の設立者にも鉄道ファンがいて、会誌名が「銀河鉄道」になったのもそれを少し反映しています。宮沢賢治から(勝手に)いただいたものですが、松本零士さんの「999」よりも私らのほうが先です。 4つ切印画紙ともなれば、自分で焼き付けるのに、手元が震えるくらいのプレッシャーがありました。
2012-09-11 Tue 07:20 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>多摩でもまだSLが走っていましたか。
私の最寄り駅の中央線武蔵境駅はかつて小さな貨物駅だったので小学校時代にはたまにですが入っていました。東京では八高線が最後だったように記憶しています(以下のリンクによると、多摩地区での最後で中2秋だったようです)。 http://www.t3.rim.or.jp/~boogie/komagawa.htm 私は何度か八高線へ行ったのですが、この日に行ったかどうだったかの記憶は定かではありません。
2012-09-11 Tue 07:54 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>八高線
おぉ、これが東京での最後のSLですか。山陰線(といっても把握しているのは、京都府付近の福知山機関区-梅小路機関区あたりだけ)とたいして変わらない時期というのが意外でした。下の情報によると、京都付近では、1971年4月までだったようです。私は、最後のSLに乗ったはずはありませんが、通学でSLに最後に乗ったのは、この直前だったでしょう。 http://katte-kimama.twinstar.jp/railway/Album/album59/index.html >中央線武蔵境駅 私が初めて出張で関東に住み込んだころ、田無の核研を抜け出して新宿に出るのに利用しました。(だいたいは西武池袋線を利用しましたが) ここからなら、新宿までまだどうってことないですね。 私が中学校の頃は、物が手に入るか尋ねた時の返事で、「福知山に売っとる」というのと「京都まで行かな売っとらん」というので、天国と地獄の差がありました。
2012-09-11 Tue 23:08 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>通学でSL
八高線のSLは貨物だったと思うので(記念列車は客車)、SLで通学していたというのはすごいですね。 >中央線武蔵境駅 新宿へ出るのは便利ですよ。 >「福知山に売っとる」というのと「京都まで行かな売っとらん」というので、天国と地獄の差がありました。 ディスカバージャパンの頃(中学時代)、京都から山陰線で保津峡まで行ったことがあります。列車が低速な事もあり随分な距離に感じました。そこから福知山までのことを考えると、京都がいかに遠く感じられたか、想像できます。
2012-09-12 Wed 07:47 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
>貨物だった
あっ、そうか。貨物と客車の違い。やはり、東京と京都は違うか... >SLで通学していたというのはすごい 1区間5kmくらいですが、自転車通学は許可されておらず、「汽車通学」ということになっていました。今は、中学校がより近くに新設されました。小学生で列車通学というのは越境や私立を除いては普通ないと思うので、中1までSLで通学していた私らはその最後の世代といえるでしょう。 >京都から山陰線で保津峡 この区間は、二、三十年前に線路がひきなおされて、距離が短縮されました。古い線路は、今は観光用トロッコ列車に利用されています。私らには時間がかかるだけの曲がりくねった線路も、遠くから訪れた中学生には楽しかったでしょうね。
2012-09-12 Wed 08:06 | URL | S.U #MQFp2i1U[ 内容変更]
>中1までSLで通学していた私らはその最後の世代といえるでしょう。
最後の世代というか、前の世代に片足残っているって感じですね。 >今は観光用トロッコ列車 うわ、本当だ。このぐねぐねした線路から峡谷を見下ろしながら走りました。
2012-09-12 Wed 08:19 | URL | かすてん #MLEHLkZk[ 内容変更]
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