
26年前にこの稲敷地域に越してきて初めて耳にし体験したことはたくさんあるが、「奉社(ぶしゃ)」もその一つだ。自分が住み始めた地区の奉社は、コンパクトなお社である奉社神様[右写真]の前で執り行う集落の正月行事だった。当屋が前年から預かっていた奉社神様を会場へ持参し、前年の報告と本年の取り決め、その他懸案事項について全戸出席で話し合う。最後に当屋は低頭する参加者の頭上を榊で清めながらひと回りし、本年の当屋へ奉社神様を送り渡して終了する(もしかすると、送り渡しの後に話し合いだったかもしれない)。その後、直会として新年会・宴会が始まるという流れだった。自分が来る以前は当屋の家で奉社が行われていたので、裏方で食事や宴会の準備をする当屋と同じ班の女性方(女衆)はたいへんだったと聞かされた。その後、自分が参加した時点では会場は地域の集落センターへ移っていたが、食事と宴会はセンターの調理室を使って女性方が準備していたのでやはりたいへんだったと思う(自分を含めて男どもはその頃には酔っ払っているだけだったのでorz)。さらにその後、食事は仕出しになり、高齢者の顔ぶれも1年又1年と寂しくなり、宴会も(片付けられないからさっさと帰れも含めて)手短にと簡素化されて行った。こうした民俗行事は、地域の人口減や高齢化によって、時代と共に簡略化される傾向にあるが、この地区でも5年前に奉社仕舞いをして正月の寄合全部が消滅した。

『茨城史林』第46号 2022/6に掲載された、近江礼子さんの論文「茨城県南・県西の正月行事「オビシャ」ー年の初めのトウヤ引継ぎの祭ー」を読んだ機会に、オビシャに関する比較的新しい以下の資料も併せて目を通してみた。近江論文には茨城県内の多くの奉社および類似行事が記録されていて、今後調査を積み上げていく際の基礎データになると思われる。
『オビシャ文書の世界』水谷類・渡部圭一編 岩田書院 2018年 3800円
いわゆる村方文書はいまでいう公式文書だが、それとは異なり仲間内の記録である奉社日記は、近世の村の成立や祭祀を紐解ける文書群で、この近隣でも17世紀初頭のものなど貴重なものが次々と見つかり出しているらしい。編者のお一人渡部圭一氏の論考「近世「村の鎮守」祭祀の成立 ーオビシャ文書からの挑戦ー」のはじめにの中でオビシャの傾向を「年頭に行われる村の鎮守祭祀の一環で、南関東に広く分布し、儀礼的には歩射や饗応を中心とする点、組織的にはしばしば当屋祭祀のかたちをとっている点、そして史料的には近世前期にさかのぼる引き継ぎ文書をともなう点」と整理していて、これはそのままオビシャとはおよそこういうものというまとめになると思う。
この本の中で、星天の会の知人の集落が取材されていて驚いたが、確かに彼のところは古い集落だったと思い出した。
『企画展図録 オビシャはつづくよ400年』 千葉県立関宿城博物館 2019年
『オビシャ文書の世界』は文書にポイントを絞っている研究書だが、こちらは展示会図録なのでカラー写真も多くて、内容的にもオビシャ全体についていろいろな側面からよく調査、整理されている。
奉社は、早いところでは1600年頃から何百年間も地域に根付いて当たり前のように続いてきた行事だが、今後もこれまで同様に維持していけるのかはなかなか難しい社会状況の中にあると感じる。奉社に限らず身の回りに古い行事が残っている幸運な方は、いま記録しておけば必ずや貴重な資料になると思われる。残念ながら地元の奉社は無くなってしまったが、一時期でもこの行事の空間へ入れたことは貴重な体験だったといま改めて感じている。地元以外では、2003年1月に龍ケ崎市貝原塚の歩射を見学させていただく機会があった。ところが、どういうわけかこれら3著には登場しない。この20年の間に消滅してしまったのだろうか不安になる。来月の会議で近江先生にお会いできるのでお尋ねしたいと思っている。