2021-10-09 Sat 00:00
先日の「武士はまず射芸の職能者だった」で紹介した川合康氏の『源平合戦の虚像を剥ぐ』によれば、源平合戦当時(あるいはもう少し前の時代)の理想の武士が備えた射芸には、馳射(はせゆみ:馬を走らせながら矢を射る)、待射(まちゆみ:馬上から待ち伏せして矢を射る)、照射(ともしゆみ:?)、歩射(かちゆみ:馬を降りて矢を射る)、騎射(うまゆみ:馬上からの射芸一般)、笠懸(かさがけ:以下)、流鏑馬(やぶさめ)、八的(やつまと)、三々九(さんざく)、手挟(てばさみ)などがあったようだ。
近年、一部の神事は別にして、各地のイベントで披露される古式馬術の中では流鏑馬だけが目立っているが、その他の射芸はなかなか見る機会がない。この中で頼朝が特に奨励したのは馳射の芸とのことで、それに該当するのは笠懸と流鏑馬になると思う。流鏑馬に比べて笠懸はほとんど知られていないと思うが、Wikiなどを見ると笠懸には遠笠懸(とおかさがけ)と小笠懸(こがさがけ)があるとされる。 遠笠懸は、普通の笠懸のことで、小笠懸よりも的までの距離が遠く、疏(さぐり:馬の走路)から5杖〜10杖(約11.35m - 22.7m)離れたところに立てた木枠に、直径一尺八寸(約55cm)の円形の的を一つ紐で3点留めで吊るす。 ![]() 右利きの者が騎射する場合、弓手側の敵は射易いが、馬手側の敵を射るのは難しい。実戦で馬手側の敵をみすみす逃さないための日常訓練として小笠懸が考案されたのだと思う。ネットで笠懸の動画を探したが、遠笠懸または的を低くした流鏑馬はたくさん見つかるが小笠懸の供覧は少ないようだ。 ようやく見つけたのが京都上賀茂神社笠懸神事の写真で、下のリンクの2枚目がそれだ。[上の下手くそな絵はそれを参考にした] →京都観光Navi:笠懸神事【上賀茂神社】 また、大久保ヤマト氏のイラストが、小笠懸の体の使い方の特徴をうまく表現している、と思う。 →大久保ヤマト氏:【小笠懸】北条時宗 |
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