2021-07-07 Wed 00:00
前回の五輪があった1964年に何があったかをネットで見て行ると、東海道新幹線開通以外にも、まぁいろいろあった。その中にどっぷり浸かって子ども時代を謳歌して生きていたことに改めて気づく。洋式トイレとの出会いもその頃だったと思う。同級生の小野寺くんの家へ遊びに行った時だ。同じ団地の中でも、建物群毎に広さ、部屋割り、設備などに大きく違いがあった。当時の設計思想は西洋的生活スタイル志向だったと思うが、広さの点で西洋にはおよぶべくもなかった。その中でも一番狭かったのが1Kタイプだったと思う。トイレと洗面台と風呂場が一体になった作りだった。独立したトイレが当たり前だと思っていたのでこれには驚いた、というか大のためにトイレを借りたのにどの様に使えば良いのか途方にくれた。まぁ、西洋便器と出会った子どものほとんどがするように、危険を冒して便器の上に乗って用を足した。
1Kタイプというと、上記のトイレ兼風呂場と六畳(四畳半?)一間にダイニングスペースの無いキッチンだったかと思う。今考えると、あんな狭い空間で夫婦と子ども二人、よく生活できたものだと感じるが、とにかく物が少なかったからだろう。 昭和三十年代初期に建った私の暮らす団地では、トイレは一部様式、ほとんどが和式だった。後年の痔疾発症率を調べると有意な差が出るなどといったことは無いだろうか。 |
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