日曜日午後は常陸太田城の現地説明会へ行ってきた。コロナ対策とはいえ現説を連続4日で16回開催するというのは破格の取り計らい。常陸太田市教育委員会の並々ならぬ力の入れ様を感じる。遺物解説や見学ルート作りからも力の入れ様が分かる。

ヤブレンジャーが遺物を見学中

2号堀Bの中央クランク部(下図の矢頭のちょっと左)。深さ約5mあるので土を運び上げるのもたいへんだ。

4号堀の堀底を通って2号堀Bの東側へ出る。堀底まで見学ルートになっていることは少ないので、なかなか珍しい光景だと思う。

東側から2号堀Bを見る。これだけ大規模な堀がありながら土塁の痕跡がないという。掘った土を盛り上げなかったとすると、土の行き場所は?郭面の嵩上げのために盛土に使ったのではないかという意見など
が出た。

配布資料に堀名称を記入したもの
上杉謙信が選んだ(のかもしれない)関東七名城に相応しい城郭だったことが想像でる。写真では伝わらないと思うが、今後の保存・展示を考えたとき、このまま保存するには危険すぎる堀だというのがメンバーの共通する感想だった。