NEWSつくばのコラムで大阪王将が紹介されていたのを見て、王将の餃子と出会ったときの事を思い出した。
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《ご飯は世界を救う》14 街の食堂・庶民の味方「大阪王将」
「大阪王将」は名前の通り大阪の店なのだが、「王将」のもともとは京都が発祥の地で、二つに分かれて「餃子の王将(いわゆる京都王将)」と「大阪王将」になった。私が大阪の大学に行ったのは大阪王将の鶴橋店ができた頃だったかと思う。部活が終わった後の夕飯に、同期と連れ立って大阪環状線の鶴橋駅や大正駅の店によく行った。もともと小食の自分は、初めて行った時には2皿が限度だったが、次第に店で3皿食べて2皿持ち帰りというパターンに落ち着いた。1976年当時、一皿6個で100円あるいは120円だったかと思う。ビールの好きな連中だったが、王将の餃子を食べる時だけは誰一人ビールは飲まなかった。炭酸で腹が膨れて餃子を思う存分食べられないのがわかっていたからだ。連れ立って行くのは大阪王将ばかりだったのは、京都王将は王将の餃子らしくないという王将マニアのもりもっちゃんの評論を聞かされていたからだ。一度試しに京都王将にも行ってみたが、確かに普通の中華料理店の餃子とあまり違いがなかった記憶がある。大阪王将の餃子の魅力の一つはニンニクがたっぷり入っている点だが、食べて帰った夜中に自分の吐く息の臭さで目を覚ましたことが幾たびもある。母親の作る餃子は豚肉とニラが多くてニラ団子包みのような餃子だった。それしか知らずそんなものかと思っていたので、王将の餃子との出会いは新鮮だった。まず、皮が厚い、ニラが入っていない、豚肉は入っているけど団子になるほどではない、キャベツがしっかり入っている、そしてニンニクたっぷりというのが素材の基本。そして、ペースト状になるまで捏ねられた生地を、細いヘラ一本を巧みに使ってものすごい速さで手際よく包むという厨房作業をカウンター越しに見るのも飽きなかった。後年、東京や茨城でも大阪王将の店に入ったことはあるが、なんだか上品さが加わってしまって、大阪で食べるときの様な満足感は得られなかった。一緒に行ったきったない格好の部活帰りの同期も、買って帰った古アパートの部屋も、今はもうないのだからそれは仕方がない事だが、、、。