2007年、33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名。その後の変化でただいま星空は休眠状態。郷土史、草刈り、読書、ドローンの記事が多くなっています。
金本正之先生との出会い(その3) 記憶に残る講義
2016-11-08 Tue 00:00
金本正之先生との出会い(その1) 接点年表
金本正之先生との出会い(その2) 資料みたいなもの数点

手元に残る資料を頼りに思い出せることは(その1)と(その2)にほぼすべて書いてしまった。あとは自分の記憶の中だけに残る幾つかのエピソードを可能な限り絞り出しておきたいと思う。

(1)発明された「天皇」:遣隋使を送るにあたり皇帝へ貢物をする周辺諸国の王の一人としてではなく、隋の皇帝と対等かそれ以上の位を示せる名称は何か、聖徳太子はここでハタとひらめいた。中国の皇帝は天から付与される権威と権力。「天」と「皇帝」をくっつけて「天皇」とすれば皇帝よりも上位。これを知った隋の皇帝、アッと驚いたがもう遅い。

(2)古代日本人の精神:『隠された十字架』を題材に、怨霊と鎮魂は日本人の心、文化、政治のいたるところに関わってきたことを例示する。

(3)茶漬けで負けた平将門:田原藤太(藤原)秀郷が将門に付かなかった理由は、茶漬けの湯を3回継ぎ足したことだとか。秀郷は将門の人物を探りに面会に行くが、茶漬けの湯を3回継ぎ足したのを見て、茶漬け一杯の湯の量も把握できない大将には将来性はないと見限ったということだ。その他秀郷の百足退治のエピソード。

(4)源平の戦い方:当時の戦は夜明け後から日没前の間に行っていた。騎馬での戦いでは、敵が自分の右側にいる場合はいくら近くにいても仕掛けられなかった。一ノ谷の戦いの段では『青葉の笛』を聞かせてくれる。

(5)源為朝のエピソード:十人張りの弓使いで左腕が右腕よりも30cm以上長かったという源為朝。かつて弓道をされていた金本先生の説明によると、和弓では矢を射る瞬間に左手首のスナップを強く効かせるため、強い弓を弾く為朝の左腕は30cm以上も長くなってしまったということらしい。

(6)鎌倉幕府の成立と中世武士社会の様相:『曽我兄弟の敵討ち』

(7)文永・弘安の役:『元寇』を歌ってくれた、、、はず。

(8)鎌倉幕府の滅亡:『鎌倉』を聞かせてくれる。

(9)南北朝の戦い:船坂山 杉坂 院庄 と隙間を空けて黒板に書き始めた。隠岐へ護送される後醍醐天皇を追ってきた児島高徳だが船坂山、杉坂では追いつけずようやく院庄で追いつくことができた。一人では如何ともし難いので、闇に紛れて後醍醐の寝ている庭へ入り桜の木に十字の漢詩「天莫空勾践、時非無范蠡」と刻む。朝起きてきた後醍醐がそれに気付き、漢詩の内容を理解し、時を得たならば必ず忠臣が助け出しに来てくれることを悟ったというエピソードが語られる。語り終えたところで 『児島高徳』を聞かせてくれる。

(10)前期日本人と後期日本人:日本人の精神構造が中世のある時期に大転換したという話。それは前期日本人/後期日本人と区別できるほどの大変化だったらしい。多くは忘れてしまったが、いま覚えているのは「善悪」、「怨霊や祟りへの畏れ」などの規範の違い。鎌倉時代頃までは前期日本人、信長や家康は後期日本人。これが行動の違いに現れているのではないだろうか。この話を聞いてからもうかれこれ30年経っているが時々思い出して歴史上の人物の行動を見るときのヒントにすることがある。
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