昨日は潮来のあやめ祭りへ行った足で佐原を回って来たことを書いたが、佐原のことをもう少し書き足しておきたい。

佐原の旧市街、小野川を核にしてかつての賑わいを偲ばす風情ある街がいまも拡大していることをここを訪れるたびに感じる。それを追うように観光客も確かに増えている。
旧三菱銀行のレンガ造りの建物は
佐原町並み交流館としてギャラリーや観光案内所になっていて、そこのボランティアの方が言っていた。「太平洋戦争中は空襲を免れ、抽選で決まっていた建物疎開も男手不足で延び延びになっていたのが昭和20年8月20日にいよいよ断行という直前に終戦になったおかげで近世の街並みが残った。その後の景気低迷の時代、車が入って来られないから町が活性化しないというのがそのころの考え方だったので、小野川を暗渠にして駐車スペースを増やす計画があったけれど、いろいろな事情でできなくて良かった。暗渠にしていたらいまの佐原は無かった。何も無くなっていたと思う。佐原は建物疎開と暗渠化を逃れたという二つの幸運のおかげで今があると思う。」と。佐原の者は盆暮れには戻らないが祭りには戻るとご自慢の祭り(
佐原の大祭)について語ってくれたが、街がなくなっていれば祭りも廃れていたことだろう。
ジャージャー橋から北を望んだこの風景、どこかで見たことがあるような、、、。
かつて水路が残っていた頃の土浦桜橋を南側から見た保立俊一さんの絵を思い出さないだろうか。佐原の風景がこの絵とあまりにそっくりなので驚いてしまう。
土浦の昔の絵が佐原の現在に重なり、それが土浦の未来に見えてきた。30年後の土浦、こういうのが良いのではないだろうか。

[左から、現在の土浦桜橋、保立俊一さんの絵、妄想桜橋、未来の桜橋(現在の佐原)]