
『劔沢幻視行 山恋いの記』 和田城志著
東京新聞 1700円 2014年
登山に縁は無いが「星戀」ならぬ「山恋の記」を読んだ。著者の和田城志さんと会ったのは35、6年前に遡る。
「天候が回復せず、シェルパの祈りが朝からずっと続いています」と書かれた絵葉書がダイコー産業に届いていた。阪和線鶴ヶ丘駅界隈には馴染みの居酒屋『天つる』や当時和田さんが勤めていたダイコー産業があって、何度かお酒をご一緒させてもらった。それは和田さんが30歳の頃で、大阪市大隊として未踏峰ランタン・リルン初登頂の少し後のことだ。私の記憶の中の和田さんは、本書63頁の大学2回生(21歳頃か)の写真の面影に近いロングヘアの青年のままだ。
当時インド方面のトレッキングもしていたらしいが、話の中でどういう脈絡だったのか、その頃始まったNASAのヴィーナス計画を話題にし、「行きたいところは金星」と真面目な顔で言っていた。若かった自分やヨメさんをからかったのだろうが。
第5章の出だしにこんなことが書かれている。「この世の縁は不思議ではない。自分で無意識のうちにそれを選択しているように思う。(中略)南国土佐、物理、黒部、雪、冬、私はこういう縁を選びたがっているように見える。」そういうことだとすれば、和田さんと私は無意識のうちに「物理」というキーワードで、極小さくはあるがひとときの縁を結んでいたことになるかもしれない。
わずか数度の機会とはいえ、自分の人生とはまったく別次元を生きる名ある登山家と時空を共にし杯を交わせることの幸せを、学生だった当時の自分に分かろうはずも無かった。