2007年、33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名。その後の変化でただいま星空は休眠状態。郷土史、草刈り、読書、ドローンの記事が多くなっています。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
2013-08-12 Mon 00:00
1308113.jpg風立ちぬ、いざ生きめやも。

これはフランスの詩人ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』の一節、
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
を堀辰雄自身が訳して自らの小説『風立ちぬ』で引用したものだそうで直訳は、
「風が上昇した、生きてみなければならない」といった意味らしい。

Wikiでは、「風立ちぬ」の「ぬ」は過去・完了の助動詞で、「風が立った」の意である。「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている、と解説されている。「いざ」一語で意味がまったく逆転するという解釈だ。

一方、Yahoo!知恵袋の回答者のお一人zhuben_yimingさんは、「めやも」の「め」は推量の助動詞「む」の已然形「め」。「や」は反語の係助詞。「も」は詠嘆の係助詞。合わせると、「…することがあろうか、いやそんなことはない」「どうして……などしようか」という意味になります。つまり、「生き・めやも」は「生きようか、いや生きることはないよ」「どうして生きたりしようか」という意味になってしまうので、「いざ生きめやも」という訳自体が間違いで、正しくは「いざ生きざらめやも」であるべきで、これであれば「風が吹き始めた。さあ、どうして生きてみないってことがあろうか」の意になると、堀辰雄訳の間違いを指摘している。ただ、当時の東京帝国大学文学部国文科を出ている彼がそのような間違いをするだろうかという疑問も残るのだが。

この夏、宮崎駿の『風立ちぬ』が公開されている。有名な一節であるこの詩句の解釈もきっと話題になるはずなので、ここでちょっと取り上げてみた。古語に詳しい方には常識だろうが、高校時代に古文で手抜きした私には自力解読は不可能なので却って新鮮に感じられる。いつか時間ができたら古文の出直し勉強をしてみたいように思った。
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