2007年、33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名。その後の変化でただいま星空は休眠状態。郷土史、草刈り、読書、ドローンの記事が多くなっています。
開沼 博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
2012-05-02 Wed 00:00
120407.jpg 『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
     開沼博著 青土社 2011年 2310円

福島原発事故へ至る原発ムラの成り立ちについて社会学の視点から論じた本書の原型となる原稿は、奇しくも2011年春の3.11直前に提出されていた修士論文だ。

私にとって社会学というのはなじみの薄い学問分野で、高校時代に世界史の先生から「大学へ行ったら『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(プロ倫)を読むように」と言われながら結局最後までは読み切れずに放置した経験があって、それ以外には社会学徒だったヨメさんから時々の話題を漏れ聞く程度の分野だ。本書は福一事故直後から話題になっていたが、読みやすくはなかったというのが私の正直な感想だ。

400頁を越える本書の全体をまとめることはとてもできないが、私が興味を感じた部分についてのキーワードをいくつか並べるならば、貧しい福島、豊かな都市への憧れ、豊かな地元実現への期待を込めて原発誘致へ飛びついてしまった、気づいたら抜け出せなくなっていた、その構造からの転換の試みは中断、となる。おそらく著者が言いたいのは、単純に貧しい田舎が原発を押し付けられたということではなく、これも受け売りではあるが、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』にも通じるものがありそうで、福島も原発が負の資産であることを分かった上でそれ全体を抱きしめたということになるのだろう。

ただ、この一見地元も共犯に見える構造自体が、搾取する豊かな都市と搾取される貧しい地方という大枠がすでにあったからこそ、原発マネーの呪縛に絡み取られて行ったものであって、これは麻薬を流す者と麻薬患者の関係に酷似していて、麻薬を流す者の責任が減じられる理由にはならない。
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