2007年、33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名。その後の変化でただいま星空は休眠状態。郷土史、草刈り、読書、ドローンの記事が多くなっています。
命の連環が途切れる春
2011-03-30 Wed 00:00
110329.jpg毎年この季節になると、我が家の狭い庭の中も様々な草花があちこちでつぼみを膨らませ色とりどりの花を咲かせる。虫たちも何処で冬を過ごしていたものか、一斉に現れては花弁を広げたばかりの花々の間をあちらこちらへ日がな忙しなく飛び惑う。明け方早くから聞かされる鶯の若僧のへたくそなさえずり練習も日増しに上達するのをうつらうつらと床の中で聞く。放牧場の牛たちも放し飼いの鶏も屋根の上を走り回る小雀どもも陽の暖かくなるのを楽しんでいるかのようだ。
冬のさほど厳しくないここ茨城県南でさえ、春の訪れは命の再生を感じさせるに十分な程華やいでいる。そうして芽吹いた植物は葉を広げ実を結び、牛や馬はそれを食べ排泄しそれがまた肥料となり植物を育て、その連環の中で私たちも養われる。ブチブチと切れかけながらも辛うじて繋がっていた環が今年以降は様相を変える。

もう次に春が来ても2011年が思い出されて今までのように心の底から喜ぶことはできないように思うと、ヨメさんが悲しそうに言った。
本日のお勧め
・原発建設予定地山口県上関での小出裕章さんの講演会
 小出裕章先生はいわゆる良心の万年助教だ。

 私の大学時代の指導教官も万年助手(今で言う助教)だった。物理学者である先生は、科学者の社会的責任について発言・行動・執筆し、私が研究室に在籍する以前には、瀬戸内海汚染総合調査実行委員会で瀬戸内海の汚染問題調査、水俣病の患者支援、水俣病関西訴訟、大阪の大東水害訴訟、植田マンガン訴訟、などに深く関わっていた。そう言うわけで大学教官としての出世とは無縁で40代半ばまで身分は助手のままだった(定年退官後他大学へ教授として招かれた)。私が室員になったのはスリーマイル島事故の直後。私は不肖の研究室員で、しっかりやって来なかったつけが今になって頭の上から降って来たと言われてしまいそうだ。

【追記】この記事を出した朝、奇遇と言うべきか「私の言いたいことの1%も書けていませんが、この時期にぜひ伝えたい一言です。」と先生からメールでお知らせが届いた。確かに、これでは木野先生が語りたいことの1%も語らせてもらっていないと感じる。
 立命館大教授 木野茂さん「将来の差別 心配」(asahi.com滋賀)
今夜の観測:ε Aur3.5等、ST UMa6.9等。
別窓 | 大震災・原発・社会 | コメント:13 | トラックバック:0
| 霞ヶ浦天体観測隊 |

FC2カウンター