2007年、33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名。その後の変化でただいま星空は休眠状態。郷土史、草刈り、読書、ドローンの記事が多くなっています。
北尾浩一さんと漁師町を歩く
2010-07-03 Sat 00:00
念願叶って以前からお会いしたかった天文民俗学の北尾浩一さん(星の伝承研究室主宰)にお会いして来た。理由(の一部)については以下の記事に書いたことがある。

 →暮らしのなかで、星をきっかけに、豊かな多様性を育むことの大切さ
 →北尾浩一さんのこと

100701.jpg5月末、大阪泉南はすでにけっこう暑かった。土浦から夜行バスに乗って大阪難波に着き待ち合わせ。その足で泉佐野の漁港へ向かう。かつて30年程前に北尾さんが一度調査されたことのある漁師町。その後の埋め立てで当時の漁港は無くなり、漁師町集落も海岸線から離れた内陸に埋もれてしまった。それでもかつての面影を頼りに歩きながら年配の方に声をかけると、かなりの確率で元漁師に出会うことができる(声掛けする北尾さんの勘は鋭い)。そして、元漁師の老人方は、かつて漁に出ていたときに知ったり使ったりした星の呼び名や当時の漁法などについて語ってくれた。[写真は現在の泉佐野漁港]

昼食後は岸和田の元漁村へ場所を移す。ここでも漁師町は海から引き離され内陸の街になっていた。泉佐野でもそうだったが、かつて北尾さんが取材した漁師の方はすでに亡くなられていて、そこから人の繋がりを辿ることはできない。それでも、街角で話しかけた方々との立ち話の中から、かつて海上で見上げた星の光のひと雫でも汲み取れたことはすばらしい収穫だと感じた。

今回、私は北尾さんのフィールドワークの手法を実地に見せていただければそれで十分だと思っていて、実は取材成果は二の次だった。漁法の大きな変化によって漁民文化が過去のものとなってしまった現在、その中で伝えられて来た星の伝承や星の和名を新たに採取することは困難だろうと予想していたからだ。それが今回、行き当たりばったりに二箇所の旧漁師町を数時間歩いただけで、いくつかの星の呼び名を聞くことができた。こうしてみると、21世紀になった今でも、まだまだ各地で採集の可能性は残っているように感じられる。もっとも、星の伝承を伝えている老人たちが元気なうちはという条件付きなので、急ぐに越したことは無いだろう。ただ、北尾さんにはあまり無理されずにとくれぐれもお願いしてお別れした。
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