2007年、33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名。その後の変化でただいま星空は休眠状態。郷土史、草刈り、読書、ドローンの記事が多くなっています。
『瀧口先生の「滝口入道」』を読んで、書き留めておきたいこと
2010-05-07 Fri 00:00
『週刊朝日』(2010年4月23日号)「週刊図書館忘れられない一冊」にノンフィクション作家の一志治夫氏が『瀧口先生の「滝口入道」』という短いエッセイを寄せていた(→転載)。教育に情熱を傾ける高校時代の担任とそれに応えることの無かった自分たち生徒との温度差について、当時のエピソードを交えて語られていた。これを読んだとき僕の記憶の中からも甦る風景があった。

1972年9月29日の日中国交正常化の1週間ほど後のホームルームのときだったと思うが、「君たちはTのこと、なんとも思わないのか。同級生の母国と日本が国交断絶したというのに、Tのことが心配にならないのか」、瀧口道生先生は唐突にそう話し始めた。Tの親が中華民国出身だと言う事は知っていたが、凡庸な僕には日中国交正常化のニュースと、いつもおちゃらけている同級生とを同じコンテキストの中で捉える力は無かった。泣きそうな表情で生徒に訴えかける瀧口先生を見て、「しまった」と自分の不明を恥じるのが精一杯だった。

100505.jpg秋の記念祭(文化祭のこと)の最終日、片付けが終わった後、瀧口先生と僕たちクラスメートは吉祥寺の井の頭公園へ繰り出した。そこで何をして時間をつぶしたのかあまり覚えていないのだが、最後に公園の野外音楽堂のステージへ一志も僕もみんなで上がって瀧口先生を真ん中に、岡林信康の「友よ」を合唱した。1972年秋の一夜の事だ。

僕たちが3年生になった春、瀧口先生は3年間勤めた僕たちの高校を退職し1年後に国立大学医学部へ入られた。今も、井の頭公園の野外音楽堂の前を通るたびに、岡林の歌と幼すぎた16歳の僕たちの姿がアンバランスな風景のまま甦ってくる。

[野外音楽堂の写真はネット上の写真をお借りした]
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