2008-07-05 Sat 00:12
鈴木壽壽子『星のふるさと』(誠文堂新光社 1975)から
![]() 1973年は、再び火星の近づく年にあたっていた。私たちは、星の澄む夜更けに、昇る火星を待ちながら、銀河のほとりの幾つかの散開星団を、視野に迎えてたのしもうと、夏の夜空が更けるのを待った。 でも、今年の夏私たちは、天の川のかかる夜を、もてなかった。いつもならば晴れた日の夜空には、目ぼしい星はかかるはずなのに、今年は「夏の大三角」がやっとだった。 何かが、ぼんやりと、私たちの町の空に、重くたちこめていて、その一隅に、街の灯をうつした雲が、ちぎれた古綿のように積みかさなって、じっとしていた。 夏中、陽が高くなると光化学スモッグの予報や注意報が出て、空全体が蛍光灯のような色に白かった。 それを、ある人びとは、異常気象のせいだと言った。ある人びとは、石油工場の煙突が急に高くなったからだと言った。 (煙塵帽が大きくなって、私たちの町まですっぽりその中に入ったのではなかろうか)と考える人もあれば、自動車の排気ガスのせいだと言う人も現れる。誰もが本当のことを本当に知らないままで、そうなのだろうと言い言いした。 「煙塵帽」といっても、活字を知っているだけだし、10キロメートルから20キロメートルはなれた場所から見ると、その街の大気汚染が一目でわかると、誰かが、どこかで話したことも、また聞きをまた聞きしただけの話だった。 複雑化して広がる汚染の話を聞くたびに、確かなデータが欲しいと思う。大気汚染の裁判も、素人が傍らで考えたほどすぐ黒白はつかなかった。人が死んでも証拠にならない。そんな気のするもどかしさの中で、原告の人々は、目に見えぬ大気汚染の証拠を固めねばならない。そのとき、ほんの励ましほどのデータも、私たちの手にはなかった。なくて当然だが、あのときそれがあったら・・・と思う。 「データがあったら。空も水も、すきとおっていた昔から、星の見えかた一つでも、貝のありかた一つでも、十年見続け、見くらべ続けた、確かなデータが、その土地の人の手にあったら。星の写真を写すついでに、同じ星座を同じ方法で写しくらべたものがあったら、星が大気の変わる姿を、話しているのが聞こえないかしら・・・」 「あ、の、なあ」 うしろから、いつもの声が笑って近づいた。 ふり返った私に、笑顔の目だけが厳しかった。 「”あったら”言うまに、やったらどうや。十年経った暁には、今夜も十年昔やろ!?」 <以下略> 【『星のふるさと』は絶版本のため実物を手に取って読んでいただける方は少数だと思われるので少し長く引用させていただいた。右上写真は太田大八氏の扉絵】 |
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