東京に住んでいた中学3年の夏休み、一人旅で明石天文科学館などを訪問したときの旅行記第2弾。[→
その1]

最近の
明石市立天文科学館と当時の写真とを比べると、「市立」の有無とか時計とその周辺の文字の感じ以外はあまり変わっていないように見える。阪神淡路大震災でかなりの被害を被り3年間閉館されて修復がなされたらしいが、外観はほとんど変わっていないかのようだ。実はそうではなかったようだが、それについての答えは
ここに書かれていた。


左の写真は館の外観と展示の様子を紹介するページ。71年は火星大接近の年で火星関係の展示が多かったと書いてある。あぁ、そうなのだ71年というは
鈴木壽壽子さん(『星のふるさと』著者)が四日市コンビナートのフレアスタックの炎を透してわずか6cmの望遠鏡で精細な火星スケッチを描いていたまさにその時だったのだ。

当時Webとかホームページとかいう概念は無かったが、なんだか今と同じような発想のものを作っていたと気づく。中学3年生の幼稚な文章で恥ずかしいが、「震災前の資料で貴重」とふくださんに言われたので公開に踏み切ることにした[4枚の写真はクリックで拡大]。
これを読んで思い出したが、別の科学館へも行っていた。というわけで、
さらにつづく、、、