2008-01-21 Mon 00:13
東亜天文学会の機関誌『天界』No.992(2008年1月号)に明石市立天文科学館の紹介が載っていた。私も中学生の時に行ったことがある。そのときの旅行記がどこかに残っているはず。そこで押入の「想いで箱」の中を探してみた。
![]() 時は1971年、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが真っ盛りで、鉄道好きに限らず周遊券やミニ周遊券を持って全国の駅のスタンプ集めが流行っていた時代だ。 私はその年の春の修学旅行のときにコース違いで見られなかった奈良の薬師寺東塔(写真右側)を見たくて、夏休みの最後の5日間を利用して京阪神ミニ周遊券を持って初めての一人旅に出た。 その頃の薬師寺といえば、消失していた西塔と金堂を再建するために、高田好胤管長が資金集めに全国を飛び回っていた時代である。私は美術の先生の影響からか、お寺の建造物や仏像を見たがるへんな中学生になっていた。 この5日間の旅の1日が明石天文科学館の見学だった。 つづく、、、 |
2007-12-03 Mon 01:21
私が最初に星を見たのは40年ほど前だが、団地に住んでいたため家の周囲は街灯だらけで、常に満月の夜のような明るさだった。そんな環境だったから肉眼で見えるのはせいぜい4等星まで。だからガイド撮影でなんとかフィルム上に7等星、8等星の星像を記録できただけでも何ものにも代え難い喜びをもたらしてくれた。
kussiさんがご自分の掲示板(No.1177)に1970年頃の写真と思い出話を書かれていたが、同世代なので私にも懐かしい。「接眼レンズにクモの糸を張って明視野装置と鏡筒に付ける雲台を自作して、手動ガイドでたくさん撮影していました。懐かしいです。」とあるが、私もセメダインの糸で十字線を張って明視野装置を作った。コントローラーは石鹸箱。 その頃のことを考えると星空にしろ機材にしろ今はなんと贅沢な星見をしていることかと思う。 ![]() ![]() |
2007-11-30 Fri 00:47
やぬしさんが「ボケフィルターを使って明るい星を目立たせ」たというおおいぬ座の写真をアップされた。その星のボケ具合が昔のことを思い出させた。FujiのXrayフィルムの写りに似ているのだ。そのことをコメントしたところ「わっわっ!Xレイ、懐かしい名前~」とやぬしさんに言われてさらに思い出すことがあった。
やぬしさんも言われるようにKodakのTryXは確かに高かったので新宿のヨドバシカメラで割安な100フィート缶を買ってきてパトローネへ巻いて使った。パトローネへ巻き取る専用の小道具もあった。35mmのXrayは缶入りしかなかったはず(30フィートだったかな)。星野写真は団地の明るい空の下で撮らざるを得なかったので、Xrayのぼんやりした柔らかい写りには馴染めずTryXばかり使った。印画紙もコントラストの強い三菱のGEKKOV4を常用。今となってはなんのこっちゃと言われそうな話題だ。 |
2007-10-09 Tue 00:50
今夜は曇りなので昔のことなど、、、。で、星を見始めた頃、すなわち小学校高学年10~12歳の頃どんなことに興味を持っていたのか思い出してみた。
![]() ・カブスカウトその後ボーイスカウトの活動(最初に取得したのが天文章だった) ・ウルトラQやウルトラマンと怪獣(ただし熱中したのは初代ウルトラマンまで) ・グループサウンズ(ブルーコメッツに始まり国内外数多くのグループに熱を上げた。iTSで最初に買ったのが懐かしいブルコメの『何処へ』) ・ギター(あの世相、自分でも弾きたくなるのは当然) ・マンガ(石森章太郎『サイボーグ009』の大団円に興奮し、手塚治虫『火の鳥 黎明編』に多面的な歴史の見方と宇宙に連なっている自分という視点を与えられた) ・天体 この支離滅裂とした興味の対象、大人的には理解し難い部分もあるが、当時の自分はどれにも均等に時間を割いていた。当時から随分と気の多い子供だったわけだ。 |
2007-09-29 Sat 00:08
このまえ青木君の望遠鏡に書いた8cm望遠鏡組み立てキットはそれから数年後に実は自分もブルーチップで手に入れた。買ってもらったアクロマート6cm屈折があるにも関わらずだ。その頃一通りの天体を眺めてしまい、物足りなさを感じていたからだと思う。この組み立てキットはシングルレンズというのが引っ掛かったのだが、口径8cmもあるのだから6cmアクロマートレンズに比べれば1.8倍の集光力、分解能もグンとアップ、おそらくシングルレンズの欠点を補ってくれるに違いないと大いに期待をしていた。
途中は省略するが、やっぱりアクロマートレンズを使ってしまった眼にはシングルレンズは見ていられなかった。その上紙筒の質感は如何ともし難い。このキットは鏡筒のみなので架台や三脚は自作しなくてはならないのだが、使う予定のないこの鏡筒はその後しばらく狭い我が家の部屋の隅っこに転がされていたのだった。 [追記]組み立てキットに対する認識が変わるページがあります(やっさんの掲示板で中井さんが紹介されてました)。『コルキット・スピカによる月面スケッチ ~3000円でできる月面の散策~』すばらしいです。こういう人、尊敬します。 |
2007-09-20 Thu 00:16
この前「青木君の望遠鏡については後日譚を」なんて書いたが、その青木君は8cm屈折望遠鏡を持っていると言っていた。ということはNikonの屈折赤道儀だろうかと想像して羨ましく思った。たとえそうでなくても口径8cm屈折は当時としては最高クラスだ。そのころ「僕も最近星を見始めて6cm屈折経緯台を買ってもらったのだけど8cmを今度見せて」と青木君に頼んだのだが、はかばかしい答えは貰えなかった。
その後も僕はしつこく頼んでいたのかもしれない。ある日望遠鏡を見せてくれると言うので青木君の家へ遊びに行った。出てきたのは、、、ブルーチップで交換した紙筒製の組み立てキットの望遠鏡だった。それを見せてもらった時僕はなんだか青木君にとても済まないことをしてしまったような気持ちになった。 昭和40年当時、私の母も近所のスーパーマーケットで買い物をしたときに貰うブルーチップをこつこつとシール帳に貯めていた。シールが貯まるとその枚数に応じてカタログに載っている様々な商品と交換して貰えた。近頃のこの手のシールに比べると交換レートはかなり高かったのだと思う。高度経済成長時代だったのだ。母は貯まったシール帳を私や弟の欲しいものに換えてくれた。小学校3、4年生の頃は野球用品をたくさん引き替えた。グローブもミットもバットもほとんどブルーチップで揃えた。確かにそのカタログの中に望遠鏡もあった。それは今で言うコルキットだったのかもしれない。『昔欲しかった天体望遠鏡』の「一式望遠鏡セット 買っちゃったもの」ページの一番最初によく似た写真がある。 この望遠鏡についてはさらに後日譚がある。 |
2007-09-18 Tue 00:06
ふわりさんがももさんのブログにコメントしていた。「どんなに寒い思いをしても私、星見では風邪をひいたことは無いんですよね?。。。不思議?。。。」これを読んで自分の子供の頃のことを思い出した。
確かに真冬でも毎夜じっと我慢の手動ガイド数十分なんてざらだったが、やはり風邪をひいた記憶がない。そんなことで風邪をひいていては「天体観測なんかやめろ!」と小言を食らったはずだが、そういう記憶もない。きっと星見をしていると脳内から快楽物質が出ておまけに免疫増強物質も出るのだろう。夏はついでに蚊に喰われない物質も出てくれるとありがたいのだけど。 子供時代の記憶をもう一つ追加。私は子供の頃からお腹の弱い子でちょっとしたことですぐにお腹が痛くなりお便所へ駆け込むこと度々だった。ところが不思議なことに星の本を読んでいるときだけはお腹が痛くならなかった。それどころかお腹が痛くなっても『天文ガイド』を読み始めればその傷みがあっと言う間に消えてしまうほどだった。お腹が痛いのは腸の痙攣なのだろうがそれは不随意筋の動き、それが抑制されるということは『天文ガイド』が脳みそを直接コントロールしていたということか。あの頃星の雑誌や本を読んでいる時は確かに幸福だったように思う。以上、きれいなんだか汚いんだか分からない話題で済みません。 ![]() |
2007-09-12 Wed 00:43
我が霞ヶ浦地域はこの先一週間は雨また曇りで予定が埋まってますのでしばらくは観測報告は無しです、多分。しばらくの間思い出話などでお茶を濁すことになりますが、よろしくお付き合いの程を。
最初に「天体望遠鏡」を身近に感じたのは小学校4年生の頃だったと思う。母が「青木君は天体望遠鏡を持っていて、毎月渋谷のプラネタリウムに通っているそうよ」とクラスメートの話をした。そのときの母の頭の中には「青木君はプラネタリウムや天体望遠鏡で自発的に理科の勉強をしている」というイメージがあったのだと思う。そして当時流行り始めていたグループサウンズの音楽ばかり歌っている息子に青木君の爪の垢でも煎じて飲ませたい気分だったのかもしれない。 青木君の話を聞いたからというわけではなかったと思うがそれからほどなくして自分も星に興味を持つようになり私の天文履歴書に書いたように小学5年のクリスマスに天体望遠鏡を買ってもらえることになった。最初の望遠鏡はカートン光学の6cm屈折経緯台で吉祥寺駅近くの眼鏡屋で買った。これは親の予算で決めた機種だったが、最近話題になっている買ってはいけない系の望遠鏡に比べると品質は良かったように思う。その望遠鏡は既に処分して今は無いが、「古スコ広場」という掲示板のNo.2256にとてもよく似た望遠鏡が載っている。ただし、私の経緯台には微動装置は無かった。青木君の望遠鏡については後日譚を近々。 |
2007-06-22 Fri 06:03
![]() この人工衛星をモチーフに書かれたのだと思うが、『Telstar』という曲もあった。私は中学時代にThe Venturesの演奏で聞いたことがあるが、大円の軌跡を描いて夜空を横切っていく風景が目に浮かぶようなインスツルメントで今でもときどき口ずさむことがある。この曲についてのエピソードはこちら。てなことを書いていたら久しぶりに聞きたくなってiTunesStoreからダウンロードしてしまった。演奏の最後にプシュー!という効果音が入っているのはロケットの打ち上げをイメージしているんだろうが、打ち上げというよりもパンクの音みたいなんだなぁ。 |
2007-05-06 Sun 12:17
雨なので昔のことなど。
1970年頃だろうか、アルミで作るフレーム式のコンパクトな自作反射望遠鏡の紹介記事が『月刊天文ガイド』に載った。中学生だった自分は当時カートン光学60mm屈折を使っていたが、もう少し口径の大きなそしてコンパクトな反射望遠鏡も欲しかった。そうはいっても既製品を買うだけの資金は無かったのでこの自作記事には大いに興味を惹かれた。しかし、解説記事の内容にどうしても理解できない部分があったので執筆者に質問を送った(質問受付のご本人の住所が記載されていた)。数週間後小さな文字がぎっしり詰まった詳細な回答の書かれた葉書が一枚送られてきた。その出だしの部分には、「人に質問をするときには切手を貼った返信用の封筒を同封するのが礼儀です」と書かれていた。それを読んだとき、私は顔から火が出るような恥ずさを感じたことを今でも昨日のことのように覚えている。でも、この方のご注意のおかげでその後2度と同じ失敗をせずに済んでいる。今ではお名前も忘れてしまったが、お元気であれば還暦を迎えられるお歳ではないかと思う。いかがされているだろうか。 |
2007-04-07 Sat 07:12
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2007-04-03 Tue 00:00
![]() [写真はAstroArtsの星ナビ思い出の彗星フォトコンテストのベネット彗星のページに掲載されている田代貞さんが1970年3月27日 5時0分に静岡県で撮影されたもの] |
2007-03-18 Sun 00:00
小学校、中学校、高校と続いた天文の趣味だったが、7年間に星に関する話をした友人は数えるほど、そのほとんどの期間ひとりでやっていたことになる。一人目は中学校の同学年で近くに住む飯屋の子がミザールの10cm反射赤道儀を持っているのを知り何回か覗かせてもらったが、いっしょに何か観測をしようという話にはとうとうならなかった。二人目は中学の物理科学部の1年先輩。天文に詳しく星座名とその略号を全部覚えているのに感心した。それでも部活で行った観測会の記憶は1回しかない。3人目と4人目は高校1年の時にジャコビニ流星雨を見に行った二人。話題を共有する友人を欲しいと感じないくらいに満足感・充実感のある時間を過ごしていたということになるのだろうか。
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2007-03-02 Fri 00:38
小学校5年の時から天体に興味をもっていたのに、東京多摩の団地暮らしだったということもあって、天の川を見る機会はずっと無かった。初めて自分の目で見たのは高校1年の夏休み、岡山県北部の山間地にあった親戚宅に数週間滞在させてもらって天体写真を撮りに行った時だった。庭先へ出て空を見上げるとまさに満天の星。夏の銀河が頭上を流れていた。そして短時間露出のガイド撮影で美しい星野写真を撮すことができた。翌年の夏もここで数週間を天体写真撮影のために過ごした。しかし、この夏が終わり秋が過ぎ高校3年生になりそして受験が近づくに連れて天文への情熱が急速に冷めていってしまった。これが自分の少年時代の終わりだったように思う。
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2007-02-21 Wed 00:00
小学校5,6年生で星を見始めた頃「エイコー宇宙友の会」に入った。月に一回数ページの会報が送られて来る他はイベントに会員料金で参加できる特典があった。しかし一度も参加しなかったので、いま思うと入会するほどのことは無かったなと感じる。
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2007-02-12 Mon 00:00
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2007-02-09 Fri 00:50
天文少年になった切っ掛けはとてもはっきりしている。学研の『4年生の科学』に星座早見盤が付録で付いてきたからだ。その時はまったく興味が湧かなかったのだが、1年ほど経ったある日それが急に気になってまじまじと眺めてみた。暗くなるのが待ち遠しく、その夜生まれて初めて星空を意識を持って見上げた。その晩から夕食後いそいそと表へ出ていく天文少年の時代が始まった。青いプラスチックの四角い星座早見盤だった。
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2007-02-07 Wed 00:00
福島県郡山を拠点に国内国外各地で活躍されている天文ジャーナリストの大野裕明さん。もちろん面識は無いが子どもの頃からの憧れの天体写真家のひとり。その辺りの思い出を大野さんのホームページ『星のおおのさま』の掲示板に書かせてもらったところ、それについてさっそくお返事を下さったので、掲示板のその部分をちょっと切り取らせて頂いた。
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