33年の時間を巻き戻し天文少年ならぬ天文壮年へ再入門。隊員1名、200mm、65mmの望遠鏡と双眼鏡で星空を楽しんでいます!
37年前の明石天文科学館(その1)
2008-01-21 Mon 00:13
東亜天文学会の機関誌『天界』No.992(2008年1月号)に明石市立天文科学館の紹介が載っていた。私も中学生の時に行ったことがある。そのときの旅行記がどこかに残っているはず。そこで押入の「想いで箱」の中を探してみた。

0801172.jpg あったあった。東京武蔵野市に住んでいた中学3年の夏休み、大阪の祖父の家に泊まって京阪神周辺を回ったときのことを、A4スケッチブックに文章と写真で綴った『美しい都71』と題する旅行記。表紙が薬師寺東塔、裏表紙は明石天文科学館だ。

 時は1971年、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが真っ盛りで、鉄道好きに限らず周遊券やミニ周遊券を持って全国の駅のスタンプ集めが流行っていた時代だ。
 私はその年の春の修学旅行のときにコース違いで見られなかった奈良の薬師寺東塔(写真右側)を見たくて、夏休みの最後の5日間を利用して京阪神ミニ周遊券を持って初めての一人旅に出た。
 その頃の薬師寺といえば、消失していた西塔と金堂を再建するために、高田好胤管長が資金集めに全国を飛び回っていた時代である。私は美術の先生の影響からか、お寺の建造物や仏像を見たがるへんな中学生になっていた。

 この5日間の旅の1日が明石天文科学館の見学だった。

つづく、、、
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街灯の下で見ていた星空
2007-12-03 Mon 01:21
 私が最初に星を見たのは40年ほど前だが、団地に住んでいたため家の周囲は街灯だらけで、常に満月の夜のような明るさだった。そんな環境だったから肉眼で見えるのはせいぜい4等星まで。だからガイド撮影でなんとかフィルム上に7等星、8等星の星像を記録できただけでも何ものにも代え難い喜びをもたらしてくれた。
 kussiさんがご自分の掲示板(No.1177)に1970年頃の写真と思い出話を書かれていたが、同世代なので私にも懐かしい。「接眼レンズにクモの糸を張って明視野装置と鏡筒に付ける雲台を自作して、手動ガイドでたくさん撮影していました。懐かしいです。」とあるが、私もセメダインの糸で十字線を張って明視野装置を作った。コントローラーは石鹸箱。
 その頃のことを考えると星空にしろ機材にしろ今はなんと贅沢な星見をしていることかと思う。

071202.jpg今夜の観望:夕食後取り合えずホームズ彗星の撮影とミラの目測のみ済ませてから地元の同好会の例会へ参加。ときおり薄雲や靄のかかるコンディションだったがシーイングが良く火星がきれい。帰宅後はタットル彗星。写っているのかは未確認(下の写真)。0712022.jpg
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ボケフィルターはXrayの味
2007-11-30 Fri 00:47
 やぬしさんが「ボケフィルターを使って明るい星を目立たせ」たというおおいぬ座の写真をアップされた。その星のボケ具合が昔のことを思い出させた。FujiのXrayフィルムの写りに似ているのだ。そのことをコメントしたところ「わっわっ!Xレイ、懐かしい名前~」とやぬしさんに言われてさらに思い出すことがあった。

 やぬしさんも言われるようにKodakのTryXは確かに高かったので新宿のヨドバシカメラで割安な100フィート缶を買ってきてパトローネへ巻いて使った。パトローネへ巻き取る専用の小道具もあった。35mmのXrayは缶入りしかなかったはず(30フィートだったかな)。星野写真は団地の明るい空の下で撮らざるを得なかったので、Xrayのぼんやりした柔らかい写りには馴染めずTryXばかり使った。印画紙もコントラストの強い三菱のGEKKOV4を常用。今となってはなんのこっちゃと言われそうな話題だ。
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星を見始めた小学校高学年の頃
2007-10-09 Tue 00:50
今夜は曇りなので昔のことなど、、、。で、星を見始めた頃、すなわち小学校高学年10~12歳の頃どんなことに興味を持っていたのか思い出してみた。

071008.jpg ・少年野球(へたくそだけれど楽しかった)
 ・カブスカウトその後ボーイスカウトの活動(最初に取得したのが天文章だった)
 ・ウルトラQやウルトラマンと怪獣(ただし熱中したのは初代ウルトラマンまで)
 ・グループサウンズ(ブルーコメッツに始まり国内外数多くのグループに熱を上げた。iTSで最初に買ったのが懐かしいブルコメの『何処へ』)
 ・ギター(あの世相、自分でも弾きたくなるのは当然)
 ・マンガ(石森章太郎『サイボーグ009』の大団円に興奮し、手塚治虫『火の鳥 黎明編』に多面的な歴史の見方と宇宙に連なっている自分という視点を与えられた)
 ・天体
この支離滅裂とした興味の対象、大人的には理解し難い部分もあるが、当時の自分はどれにも均等に時間を割いていた。当時から随分と気の多い子供だったわけだ。
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8cm屈折望遠鏡組み立てキット
2007-09-29 Sat 00:08
 このまえ青木君の望遠鏡に書いた8cm望遠鏡組み立てキットはそれから数年後に実は自分もブルーチップで手に入れた。買ってもらったアクロマート6cm屈折があるにも関わらずだ。その頃一通りの天体を眺めてしまい、物足りなさを感じていたからだと思う。この組み立てキットはシングルレンズというのが引っ掛かったのだが、口径8cmもあるのだから6cmアクロマートレンズに比べれば1.8倍の集光力、分解能もグンとアップ、おそらくシングルレンズの欠点を補ってくれるに違いないと大いに期待をしていた。

 途中は省略するが、やっぱりアクロマートレンズを使ってしまった眼にはシングルレンズは見ていられなかった。その上紙筒の質感は如何ともし難い。このキットは鏡筒のみなので架台や三脚は自作しなくてはならないのだが、使う予定のないこの鏡筒はその後しばらく狭い我が家の部屋の隅っこに転がされていたのだった。

[追記]組み立てキットに対する認識が変わるページがあります(やっさんの掲示板で中井さんが紹介されてました)。『コルキット・スピカによる月面スケッチ ~3000円でできる月面の散策~』すばらしいです。こういう人、尊敬します。
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青木君の望遠鏡
2007-09-20 Thu 00:16
 この前「青木君の望遠鏡については後日譚を」なんて書いたが、その青木君は8cm屈折望遠鏡を持っていると言っていた。ということはNikonの屈折赤道儀だろうかと想像して羨ましく思った。たとえそうでなくても口径8cm屈折は当時としては最高クラスだ。そのころ「僕も最近星を見始めて6cm屈折経緯台を買ってもらったのだけど8cmを今度見せて」と青木君に頼んだのだが、はかばかしい答えは貰えなかった。
 その後も僕はしつこく頼んでいたのかもしれない。ある日望遠鏡を見せてくれると言うので青木君の家へ遊びに行った。出てきたのは、、、ブルーチップで交換した紙筒製の組み立てキットの望遠鏡だった。それを見せてもらった時僕はなんだか青木君にとても済まないことをしてしまったような気持ちになった。

 昭和40年当時、私の母も近所のスーパーマーケットで買い物をしたときに貰うブルーチップをこつこつとシール帳に貯めていた。シールが貯まるとその枚数に応じてカタログに載っている様々な商品と交換して貰えた。近頃のこの手のシールに比べると交換レートはかなり高かったのだと思う。高度経済成長時代だったのだ。母は貯まったシール帳を私や弟の欲しいものに換えてくれた。小学校3、4年生の頃は野球用品をたくさん引き替えた。グローブもミットもバットもほとんどブルーチップで揃えた。確かにそのカタログの中に望遠鏡もあった。それは今で言うコルキットだったのかもしれない。『昔欲しかった天体望遠鏡』「一式望遠鏡セット 買っちゃったもの」ページの一番最初によく似た写真がある。

 この望遠鏡についてはさらに後日譚がある。
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星を見ていると風邪をひかない?お腹も痛くならない?
2007-09-18 Tue 00:06
 ふわりさんがももさんのブログにコメントしていた。「どんなに寒い思いをしても私、星見では風邪をひいたことは無いんですよね?。。。不思議?。。。」これを読んで自分の子供の頃のことを思い出した。

 確かに真冬でも毎夜じっと我慢の手動ガイド数十分なんてざらだったが、やはり風邪をひいた記憶がない。そんなことで風邪をひいていては「天体観測なんかやめろ!」と小言を食らったはずだが、そういう記憶もない。きっと星見をしていると脳内から快楽物質が出ておまけに免疫増強物質も出るのだろう。夏はついでに蚊に喰われない物質も出てくれるとありがたいのだけど。

 子供時代の記憶をもう一つ追加。私は子供の頃からお腹の弱い子でちょっとしたことですぐにお腹が痛くなりお便所へ駆け込むこと度々だった。ところが不思議なことに星の本を読んでいるときだけはお腹が痛くならなかった。それどころかお腹が痛くなっても『天文ガイド』を読み始めればその傷みがあっと言う間に消えてしまうほどだった。お腹が痛いのは腸の痙攣なのだろうがそれは不随意筋の動き、それが抑制されるということは『天文ガイド』が脳みそを直接コントロールしていたということか。あの頃星の雑誌や本を読んでいる時は確かに幸福だったように思う。以上、きれいなんだか汚いんだか分からない話題で済みません。

0709172.jpg 今夜の観測:昨晩同様雲は多いが案外星は見える。カシオペア座、ペガスス座、アンドロメダ座などの変光星をいくつかレパートリーに追加。その他今夜ぜひ見たかったもの、中井健二さんの掲示板で話題になっているケンブルズカスケード。約2.5度に渡って一列に星が連なっている見事な造形だ。私にはNGC1502から流れ出ているというよりも、北から飛んできた粒子が散乱して一つはNGC1502側へ、もう一つは反対側へ弾かれてさらに二又に散乱していく宇宙線のカスケードシャワーのように見えた。
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天体望遠鏡に出会った日
2007-09-12 Wed 00:43
 我が霞ヶ浦地域はこの先一週間は雨また曇りで予定が埋まってますのでしばらくは観測報告は無しです、多分。しばらくの間思い出話などでお茶を濁すことになりますが、よろしくお付き合いの程を。

 最初に「天体望遠鏡」を身近に感じたのは小学校4年生の頃だったと思う。母が「青木君は天体望遠鏡を持っていて、毎月渋谷のプラネタリウムに通っているそうよ」とクラスメートの話をした。そのときの母の頭の中には「青木君はプラネタリウムや天体望遠鏡で自発的に理科の勉強をしている」というイメージがあったのだと思う。そして当時流行り始めていたグループサウンズの音楽ばかり歌っている息子に青木君の爪の垢でも煎じて飲ませたい気分だったのかもしれない。
 青木君の話を聞いたからというわけではなかったと思うがそれからほどなくして自分も星に興味を持つようになり私の天文履歴書に書いたように小学5年のクリスマスに天体望遠鏡を買ってもらえることになった。最初の望遠鏡はカートン光学の6cm屈折経緯台で吉祥寺駅近くの眼鏡屋で買った。これは親の予算で決めた機種だったが、最近話題になっている買ってはいけない系の望遠鏡に比べると品質は良かったように思う。その望遠鏡は既に処分して今は無いが、「古スコ広場」という掲示板のNo.2256にとてもよく似た望遠鏡が載っている。ただし、私の経緯台には微動装置は無かった。青木君の望遠鏡については後日譚を近々。
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テルスター(Telstar)
2007-06-22 Fri 06:03
Telstar.jpg テルスター(Telstar)というのは世界で始めて運行された能動通信衛星で、AT&Tベル研究所によって開発され、1962年7月にNASAによって打ち上げられた。直径86cm、重さ77kgの球形の衛星で、157分(2時間37分)で地球を一周、軌道傾斜角は45度で、楕円軌道を描いて周回した。一度の接続で20分程度の通信を行うことが可能で、使用していた周波数帯域は、アップリンクが6GHz、ダウンリンクが4GHzとなっており、この周波数は後の通信衛星にも広く採用された。[IT用語辞典Binaryの項目「テルスター」より]

 この人工衛星をモチーフに書かれたのだと思うが、『Telstar』という曲もあった。私は中学時代にThe Venturesの演奏で聞いたことがあるが、大円の軌跡を描いて夜空を横切っていく風景が目に浮かぶようなインスツルメントで今でもときどき口ずさむことがある。この曲についてのエピソードはこちら。てなことを書いていたら久しぶりに聞きたくなってiTunesStoreからダウンロードしてしまった。演奏の最後にプシュー!という効果音が入っているのはロケットの打ち上げをイメージしているんだろうが、打ち上げというよりもパンクの音みたいなんだなぁ。
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質問の仕方
2007-05-06 Sun 12:17
 雨なので昔のことなど。

 1970年頃だろうか、アルミで作るフレーム式のコンパクトな自作反射望遠鏡の紹介記事が『月刊天文ガイド』に載った。中学生だった自分は当時カートン光学60mm屈折を使っていたが、もう少し口径の大きなそしてコンパクトな反射望遠鏡も欲しかった。そうはいっても既製品を買うだけの資金は無かったのでこの自作記事には大いに興味を惹かれた。しかし、解説記事の内容にどうしても理解できない部分があったので執筆者に質問を送った(質問受付のご本人の住所が記載されていた)。数週間後小さな文字がぎっしり詰まった詳細な回答の書かれた葉書が一枚送られてきた。その出だしの部分には、「人に質問をするときには切手を貼った返信用の封筒を同封するのが礼儀です」と書かれていた。それを読んだとき、私は顔から火が出るような恥ずさを感じたことを今でも昨日のことのように覚えている。でも、この方のご注意のおかげでその後2度と同じ失敗をせずに済んでいる。今ではお名前も忘れてしまったが、お元気であれば還暦を迎えられるお歳ではないかと思う。いかがされているだろうか。
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現像タンク
2007-04-07 Sat 07:12
P117-05.JPG.jpg 小学校6年生の時に父に2眼レフ(プリモフレックス)を借りて写真を撮り始めた。フィルムはいわゆるブローニー(6x6版)というやつで、子どもにとってはとにかくフィルム代も現像代もばかにならない。モノクロフィルムであれば現像タンクで簡単に現像ができることは雑誌などから知識を得ていた。そこで、現像をしてみたいことを父に話すと反対されてしまった。なんでも、父も若い頃フィルム現像をしようと試みたらしいのだ。当時は暗室の中でバットを使ってやる方法、上手くいかなかったらしい。それで、暗室もないのに現像ができるはずないと一蹴に附されたわけだ。翌年、中学生になって友人の兄が現像タンクやダークバックを貸してくれて自分にも現像ができることを証明して見せた。これで父も納得してくれて、晴れて自宅でD.P.E.ができるようになったのでした。
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ベネット彗星の思い出
2007-04-03 Tue 00:00
1969y1.jpg 37年前の1970年春、ベネット彗星が光度を上げたとき、中学1年生だった私はその情報にまったく気づかずこの20世紀最後の大彗星を見損なってしまった。翌月の『天文ガイド』に掲載された各地で捉えられたすばらしい彗星の写真を眺めながら、なんで気づけなかったものかと情けない思いをした。現在のように手軽に情報を得られるネットがなかった頃の中学生の情報収集能力としてはこの程度の取りこぼしは致し方なかったかもしれないが。後で知ったことだが「エイコー宇宙友の会」がオプションとして発行していた葉書情報の会員になっていればベネット彗星接近の速報を事前に受け取れていた。再びこのようなイベントを見落とさないようにとさっそくそのサービスを申し込んだのだが、その後1年間葉書情報を必要とする天文現象は無く、再度情けない気分を味わうことになった。ベネット彗星の名を耳にする度に、写真の中でしか知らない美しい彗星の姿とともにこの情けない思い出が懐かしく蘇る。
[写真はAstroArtsの星ナビ思い出の彗星フォトコンテストのベネット彗星のページに掲載されている田代貞さんが1970年3月27日 5時0分に静岡県で撮影されたもの]
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星の話をした友達のわずかな記憶
2007-03-18 Sun 00:00
 小学校、中学校、高校と続いた天文の趣味だったが、7年間に星に関する話をした友人は数えるほど、そのほとんどの期間ひとりでやっていたことになる。一人目は中学校の同学年で近くに住む飯屋の子がミザールの10cm反射赤道儀を持っているのを知り何回か覗かせてもらったが、いっしょに何か観測をしようという話にはとうとうならなかった。二人目は中学の物理科学部の1年先輩。天文に詳しく星座名とその略号を全部覚えているのに感心した。それでも部活で行った観測会の記憶は1回しかない。3人目と4人目は高校1年の時にジャコビニ流星雨を見に行った二人。話題を共有する友人を欲しいと感じないくらいに満足感・充実感のある時間を過ごしていたということになるのだろうか。
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天文章
2007-03-11 Sun 00:35
mark46.jpg どこかの国の国旗ではありません。子どもの頃のこと、小学校2年生から5年生までカブスカウト、6年生から中学校1年生までボーイスカウト活動をやっていた。カブスカウト時代は成年の指導者のもとでの活動だが、ボーイスカウトになるといつも指導者がいるわけでなく自主的・自発的な活動を期待された。様々な状況に対応するための基本的な技能が備わっていることが認定されると与えられる技能章などはそのひとつで、自己啓発的に自分で勉強しては審査を受けるシステムだった。例えば、野営章、救急章、手旗章、天文章、、、などなど他にもたくさんあった。もちろん、一番得意な天文章を最初に取得したのは言うまでもない。[写真は天文章のワッペン。これを制服の腕に縫いつける。]
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初めて天の川を見たのは、、、
2007-03-02 Fri 00:38
 小学校5年の時から天体に興味をもっていたのに、東京多摩の団地暮らしだったということもあって、天の川を見る機会はずっと無かった。初めて自分の目で見たのは高校1年の夏休み、岡山県北部の山間地にあった親戚宅に数週間滞在させてもらって天体写真を撮りに行った時だった。庭先へ出て空を見上げるとまさに満天の星。夏の銀河が頭上を流れていた。そして短時間露出のガイド撮影で美しい星野写真を撮すことができた。翌年の夏もここで数週間を天体写真撮影のために過ごした。しかし、この夏が終わり秋が過ぎ高校3年生になりそして受験が近づくに連れて天文への情熱が急速に冷めていってしまった。これが自分の少年時代の終わりだったように思う。
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エイコー宇宙友の会
2007-02-21 Wed 00:00
 小学校5,6年生で星を見始めた頃「エイコー宇宙友の会」に入った。月に一回数ページの会報が送られて来る他はイベントに会員料金で参加できる特典があった。しかし一度も参加しなかったので、いま思うと入会するほどのことは無かったなと感じる。
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ジャコビニ流星雨の夜
2007-02-12 Mon 00:00
jacket.jpg 松任谷由実の『ジャコビニ彗星の日』を聞く度に高校1年の秋の一夜のことから高校生活全体までもが走馬燈のように蘇って心が熱くなる。72年10月9日、東京の高校生だった私は友人3人と土浦でジャコビニ流星雨を見る計画を立てた。今思うと可笑しいのだが、当時の私たちにとって土浦はとても田舎の町に思えていたのだ。この駅で降りて、少し歩けば星を見るのに適した暗闇があるだろうと。実際にどこへ機材を置いたのか今となってはハッキリしないのだが、おそらく現在の真鍋3丁目、JA倉庫南側と推測している。当時は田んぼの畦道だった。その夜の流星雨がどうだったかというと、ご存知のように、天候も曇りだった上出現も不発に終わったのでした。
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星座早見盤 天文との出会い
2007-02-09 Fri 00:50
 天文少年になった切っ掛けはとてもはっきりしている。学研の『4年生の科学』に星座早見盤が付録で付いてきたからだ。その時はまったく興味が湧かなかったのだが、1年ほど経ったある日それが急に気になってまじまじと眺めてみた。暗くなるのが待ち遠しく、その夜生まれて初めて星空を意識を持って見上げた。その晩から夕食後いそいそと表へ出ていく天文少年の時代が始まった。青いプラスチックの四角い星座早見盤だった。
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大野裕明さんのこと
2007-02-07 Wed 00:00
 福島県郡山を拠点に国内国外各地で活躍されている天文ジャーナリストの大野裕明さん。もちろん面識は無いが子どもの頃からの憧れの天体写真家のひとり。その辺りの思い出を大野さんのホームページ『星のおおのさま』掲示板に書かせてもらったところ、それについてさっそくお返事を下さったので、掲示板のその部分をちょっと切り取らせて頂いた。
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